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終活:人生を色々諦めるために①

 今、私は人生を色々諦める活動をしているのですが、まだ心に希望とか言うクソみたいなものが残っているので、それを一つずつ潰してゆき、人生というものを完全に諦めるために、このエッセイを書いています。

 まぁ、私は仕事でもうまくいきませんし、投資もうまくいかない人生でして、決して幸せだと言える人生ではありません。でも、それでも、なにかが残っている。そんなことを信じて必死にあがいているんですけどね、なかなかうまくいかないもので、どうしようもないもので‥‥。

 とりあえず、そんなことを赤裸々に、等身大に語っていこう。というのがこのエッセイの企画になります。

 さて、みなさん、夢ってありますか? 私には夢がたくさんありました。というか、私の人生の目標は、「なんでもいいので、この世界に自分が生きてきた何かを残したい。親に『お前を生んで本当によかった』と言ってもらいたい」それだけ考えて一生懸命生きてきました。

 これは本当で、私は本当に一生懸命で、多分、私の創作活動を通じて知っている方なら、私がどれだけ勉強しているかを知っていると思いますし、なんとなく気がついている方もいらっしゃると思っています。

 てことで、どこから話していきましょうか? 会社の話は、本当に鬱になるので、今は書きたくないですが、それ以外だったらいっぱい書けます。ちなみに私は、下記3点の志を持って頑張っていました。

①会社を設立したい
②投資家として一流になりたい
③小説家になりたい

 ですね。このうちの③は、今でも必死に頑張っている感じですが、どれも、まぁ、ダメですね。って、それは置いといて、今日は①の話から話していきますね。

 私には友人がいて、その子と会社を設立することを夢を見て、一生懸命お金を溜めていました。当時は結婚する気もあまりなくて、会社を興したい、その一心で働いていました。勉強をしていました。でも、それは叶いませんでした。なぜなら、その友人は、国が指定する難病になってしまったのだから‥‥。もちろん、それは相当つらい難病でして、難病だからこそ、どうにもならない病気でして、それを知った時、私は実感がなかったのですが、時が流れてゆくと、現実を認識していって‥‥、といった感じです。それが一回目の挫折です。

 だからこそ、私は、そんな人でも働ける場を自分で作りたいと強く思うようになりました。なんというか、自分の責任でもないのにハンディキャップを背負ってしまった人が笑顔で働ける会社を作りたいと強く願うようになりました。そして、いつの日か、その人たちにお給料を渡すとき、「君がいてくれて助かったよ」と言ってあげたかったんです。そしてそのお金で、自分を生んでくれた両親に恩返しをしてもらいたかったんです。

 そう決心した私は、会社を辞めようと考えました。必死で事業計画を立て、なんとか儲けがでるカラクリを創り出し、絶対に会社をつくると心に誓いました。でも自己資本だけでは足りないのです。だからプレゼンまでしにいったのです。でも、そんなリスクいっぱいのスタートアップ企業にお金を貸してくれるところはどこにもない訳で‥‥。

 だから、私はそれが悔しくて、悔しくてたまらなくて投資を始めました。自己資本で、従業員はすべて障碍者さんを雇って、会社を設立したい。そう強く願ったのです。そして、その人に給料を渡してあげたい。それ一心で投資にのめり込んだのです。

 ほんと色々なことをやりました。信じられないくらい勉強しました。でも、ダメだったんです。お金は増えるどころが減るばかりで打つ手がどんどんなくなっていって、それが本当に悔しくて、悔しくて仕方がなかったのです。

 そして一番、申し訳ないと思っているのが妻です。子育てを一手に引き受けてくれて、私に時間をくれるように配慮してくれて、ずっと私を支えてくれた妻が、本当にありがたくて、ありがたくてたまらなかったのです。

 でも、時間は無常に流れます。私は自分の理想を実現するための時間がほとんど残っていない所まで来てしまっています。だから私は、妻に時間を使ってあげたいと思うようになりました。何を言わずに私を信じてくれた妻に、何も聞かずに私を信じてくれた妻に、私の時間を返さなければならないと強く思うようになりました。

 だからこその終活なのです。私の人生の終活なのです。諦めなければならない時期が来た。そう強く思い、このノートの連載をしていくとにします。

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