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第23話:ふられ上手のベートーヴェンとナポレオン

 時は4 世紀、西ローマ帝国末期の時代。 屈強なる「プラエトリアン」が作った雄々しい帝国は軟弱に成り下がり、 弾圧したはずの「キリスト教」に完全に飲み込まれていました。

プラエトリアン(wikipediaより引用)

 さて「キリスト教」に乗っ取られた西ローマ帝国、何を思ったか急に「神の調和」とか言い始め「神の作った世界の調和を知るための学問が天文学、幾何学、数論、音楽」とのたまい・・・・はじめます。そしてその結果、天文学・幾何学・数論・音楽がを発展し、今に至るというわけです。

 でも、国家の繁栄や軍事力に直結する天文学、幾何学、数論ならともかく、なんの足しにもならない「音楽」の発展に尽力し、結果、国が滅びてしまった西ローマ帝国をみたカエサルは、さぞかし墓の下で嘆いたことでしょう。

 ということで。今日はそんな4世紀後半から急激に欧州で盛んになった音楽の話をしていきます。 題材はもちろん「クラシック」。音楽はほぼ・・「クラシック」しか聞かない私が大好きなお話です。そして今日紹介するのは「クラシック」の王道中の王道「ベートーヴェン」。 男装麗人のジョルジュ・サンドに泣きついていたヘタレ「ショパン」ではなく、雄々しい「ベートーヴェン」のお話になります! あ、ショパンファンの方ごめんなさい。ジョークです、ジョーク。本気にしないでくださいねw

ベートーヴェン(wikipediaより引用)

 てことで欧州で音楽が発展した背景は先述の通りでして、この背景からすぐにわかるように、「音楽の発展」を引っ張ったのはもちろん「キリスト教」、「教会」でした。そのため「教会音楽」というものは欧州でもてはやされていまして、その代表格が「バッハ」というわけです。

 でも音楽は、こんな狭い教会世界だけではなく、どんどん世間に広がっていきます。そしてそれは貴族に広がり、徐々に市民にまでも広がっていきました。 そしてロマン派の雄「ベートーヴェン」はそんな時代の作曲家になります。

 2020年、ベートーヴェン生誕250年の時、マスコミがベートーヴェンの歴史を得意げに語っていましたので、覚えている方は多いと思います。だから今日はそこらへんのことは省略して、ベートーヴェンの音楽を紹介をしてみようと思います。

 でも、いきなり「本格的な交響曲」を紹介されても困ると思いますので、まずはポピュラーな「エリーゼのために」から

https://www.youtube.com/watch?v=s71I_EWJk7I

 ベートーヴェンは、わりと女好きな音楽家でした。 しかしナンパで軽率な「モーツァルト」とは違い、ベートーヴェンは「奥手」で「真面目」だったようで、それが証拠に生涯独身でした。で、そんな「純情なベートーヴェン」は自分の愛情を表現するために、この「エリーゼのために」を「愛する女性」に送ったのです。そう「ラブレター」の代わりとして‥‥。

 じつはこの曲の楽譜、ベートーヴェン死後「テレーゼ・マルファッティ」から公表されたものです。 まったく、ふった男の「ラブレター」を取っておいて、男が死んだら世間に公表するなって、ほんと「ひどい女」もいたものですw

 あ、今、私が文字を書き間違えたと思ったでしょう? 「エリーゼ」とちゃんと書けよ!って、、、、しかし残念、間違っていたのは実は「出版社」の方なのでした。

 実はベートーヴェン、「私と同じ」で字が相当汚かったのです。 本当は「Für Therese」と書いてあったのに、出版社が楽譜を読み間違えて「Für Elise」と書いてしまい「エリーゼのために」となってしまったのです。これがこの曲が「エリーゼのために」と言われるようになった所以ゆえんになります。

  いや、もしかして、「ラブレター」を公表されてしまったベートーヴェンを不憫ふびんに思った「出版社」がわざと間違えた可能性もあるかもですけどねw

 さて次に紹介するのは、ベートーヴェン自身が最高傑作とする評する交響曲第三番「英雄」です。最初にネタバレ、ここでいう英雄は「ナポレオン・ボナパルト」のことです。 絶対王政を打ち滅ぼしたフランス革命の後、共和制フランスの守護者として台頭したナポレオン・ボナパルト。じつはベートーヴェン、ナポレオンと同世代の人で、同世代の英雄「ナポレオン」をリスペクトしていたのです。

ナポレオン(wikipediaより引用)

 で、ここでまたベートーヴェンの「奥手」の性格が出てしまいます。そうベートーヴェンは、自身が考える「最高の交響曲」をナポレオンにプレイゼントしたいと考えたのです。それがこの交響曲3 番「英雄」なのです。

 そして苦労の末、ベートーヴェンはこの曲、交響曲3番「英雄」は完成させます。もちろん楽譜の表紙に「ナポレオンに捧ぐ」という「献辞」を添えて。

 しかし残念なことに、この曲はナポレオンに献上されませんでした。 なぜなら曲の完成後まもなくナポレオンがフランス皇帝に即位したからです。この知らせを聞いたベートーヴェンは

「奴もまた俗物に過ぎなかったか。これから人々の人権を踏みにじって自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」

 と激怒し、献辞が書いてある表紙を破り捨てたといいます(この逸話はデマという学説もあります)。

 でも、この「英雄」というのがナポレオンを示しているのだとしたら、楽章の構成も見ると、少しニヤってできます。だって、 第2楽章は「葬送行進曲」ですから‥‥。ね、洒落が効いてると思いませんか?w ちなみにこの「葬送行進曲」、この交響曲の中で一番有名な楽章になりまして、私も大好きな楽章になります。ほんと心が奪われる名曲になりますので、是非、聞いてみてくださいね!

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まぁじんこぉる
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