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変化を求めて転職活動…が、「変化」とは?|今年の出来事/04 #1|鰐部祥平

《年をとるほど1年が速く過ぎていくようになった。それは人生の変化が少なくなるからだという。人生を大きく変化させようとした結果は?》

鰐部祥平(Shohei WANIBE)
1978年愛知県生まれ。中学3年で登校拒否、高校中退、暴走族の構成員とドロップアウトの連続。現在は自動車部品工場に勤務。文章力が評価され、ノンフィクション書評サイト「HONZ」のメンバーに。趣味は読書、日本刀収集、骨董品収集、HIPHOP。
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【お知らせ】:「ミステリマガジン」1月号に書評を寄稿しています。


光陰矢の如しという言葉もあるが、この年齢になると1年があっという間に過ぎてしまう。このように1年の感覚が短く感じられるのは新しい体験をしていないからだとも言われている。つまり年齢を重ねるごとに積み上げられた体験に加え、脳の老化により新しい体験を拒絶するようになった姿勢が、私たちの時間感覚を狂わせているのだ。なるほど、確かにこの1年を振り返ってみても、何か目新しい経験をしたかといえば思い当たる出来事はないような気もする。自分でも気が付かぬうちに、脳の老化が進み、決まった習慣の輪の中で人生を完結させてしまっていたのだ。これは、由々しき事態かもしれない。だが私も座して変化を閉ざす道を選んでいたわけではなかった。

そもそも昨年の今頃は「来年こそは大きく人生を変化させる」という目標を制定し、その戦術的行動として、転職を掲げていたことを今更のように思い出した。人生を変えるための戦術行動を転職に絞ったのは、やはり活動時間の多くを費やすのが仕事であり、ここを変えることのインパクトの大きさを狙ってのことだった。結果から言えば私は目標を達成することができなかった。

転職活動をしていなかったわけではない。数社に履歴書を送り、そのうち何社かの面接にこぎ着けた。しかし、いくつかの会社では私のスキル不足が指摘され不合格。他の数社では諸条件の折り合いが付かず、こちらから辞退した。己の怠惰からか、夏を過ぎてからは転職活動も尻すぼみとなり、1年の後半は特に変わることのない日常へと戻っていった。やはり中年になってからの転職は難しい。家族を抱えることによる重圧や役にも立たない変なプライドが決断力の邪魔をする。家族はともかく、プライドなど捨ててしまえばよいのだが「言うは易く」である。

実は転職をする際に給料や福利厚生、自身の強み、好きなこと、または業界の将来性などを重視すると失敗するのだという。適職の選びかたで特に重要なのは「ワーキングアイデンティティー」だと言われている。つまり自分は仕事を通じてどのような人間になりたいのかという価値観を明確にする必要があるのだ。結局私は変化を求めたが、どのように変化したいかという、価値観が不明確なまま転職活動を開始してしまったために、小さなプライドに絡めとられ慣れ親しんだ現職の安逸から抜け出そうという気概を持てなかったのだろう。ここまで分析できれば自ずと道は見えてくる。まずしなければならないのは「価値観の明確化」だ。

もっとも、これは難しい作業でもある。自分自身の内側に深く潜り、何を選び、何を捨てるのかを仕分けしないといけないからだ。なぜなら、ひとは自身の価値観を明確化していないと社会通念や周りの人々の価値観に影響を受け、常識や他者の価値観を自分にとっても価値ある物と思い込んでしまうものなのだ。

例えば憧れのインフルエンサーや友人が持っているからと、数百万円もするブランド物のバックや高級車を手に入れ、その支払いや維持費のために、より多くの時間を残業に費やすということはよくあることだ。老人になった時にもそれらの物を大切に所有していて、バッグや高級車を手に入れるために払った犠牲に後悔はないと思えるのならば、それは真に自己の価値観といえるであろうが、多くの場合そうではない。

数年もすればそれら、他人の価値に煽られて手に入れた物は色あせて見えてしまう。そしてまた、自分のやりたいこと、手に入れたいものが不明確なまま、他者の価値を追い求めてしまう。そんな事例はたくさんあるはずだ。

他にも親の考えやネームバリューを重視して大企業に就職し「これでいいのかな?」などと思いながら漫然と生きてしまう、なんてことも価値の明確化を怠ると起きてしまう。そしてその対価は時間、すなわち人生で支払うことになるのだ。大切な人と過ごす時間や、本当に自分が求めているものを手に入れるための勉強や行動の時間が犠牲になっていく。

出典は忘れてしまったのだが、翻訳本のノンフィクションで終末期医療に従事する看護師が看取った患者たちの話が示唆に富む。末期がんの患者の多くが、本当にやりたいことをしないで、人生の多くの時間を仕事に費やしてしまったこと後悔していた、という内容だ。価値観が明確でないと「残業をするのは社会人として常識でしょ」という言葉や、出世していい家に住み高級車を乗り回す、というような外部からの流れ込んでくる価値に飲まれてしまい、亡くなる直前に、そのような生き方は本当に自分のしたいことではなかったと思いながら人生を終えるというのだ。これほど怖いことはない。

だが自己の内面と向き合い、本当の価値観を浮き彫りにするのは容易ではない。自分が積み上げてきた諸々が、心の中から求めたものでなかったと気づいたとき、人生が足も元から崩れ去れるような感覚を覚えることになるからだ。また、価値観といっても時間や状況によって変化し続ける物なので、定期的に向き合い続ける必要がある。根気のいる作業なのだ。それでも、40代の私が人生の後半戦をより良いものにしようと望むのならば、決して避けては通れない道だ。ここまで書いて決意した。今年の残された時間を、私は自身の内面への旅に使うとしよう。

文:鰐部祥平


>>次回「今年の出来事/04 #2」公開は12月6日(金)。執筆者は山下陽光さん

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