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忘れられない笑顔:障がい者を支援するとは?|仕事の1コマ/06 #3|関野哲也

《「歯みがきをしたくない」と心を閉ざした統合失調症のAさんとの会話から考えたこと》

関野哲也(Tetsuya SEKINO)
1977年、静岡県生まれ。リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。フランス語の翻訳者/通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、福祉施設職員、工場勤務などを経験。「生きることがそのまま哲学すること」という考えのもと、読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』他。
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わたしは三年ほど、障がい者グループホームで働いていた。そのときの入居者である、統合失調症をもつ五十代の女性の笑顔が、今でも忘れられない。

福祉とひとくちに言っても、児童福祉、障がい者福祉、高齢者福祉がある。そのなかの障がい者福祉はさらに、知的障がい、精神障がい、身体障がいの三つに分けられる。わたしの勤めていたグループホームは、三つの障がいのうちのいずれか(もしくは、ふたつ以上ある場合も)をもつ18歳から65歳未満までの男性10名、女性10名、計20名の入居者からなる。

グループホームとは、障がい者が共同で生活をおくる場だ。一人にひと部屋、プライベートな自室があり、その他に共同のリビング、洗面所、トイレ、お風呂が備わっている。シェアハウスに常時、支援をする職員がいるようなイメージと言ったら、わかりやすいだろうか。

健常者と障がい者がともに生きる社会を念頭に、障がい者が地域との関係を大切にし溶け込めるよう、グループホームは住宅街にあることが多い。言われなければ、こんな所にグループホームがあったのかと思うほど。外見は普通のアパートに見える。

グループホームに入居する理由は様々で、一概には言えないのだが、やがて一人暮らしをする練習として入居する人もいる。また、入院するほどではないのだが、かと言って在宅で常に世話のできる家族がおらず、24時間体制で支援を受けられるグループホームに入居する人もいる。

健常者同士でも一緒に生活すればケンカやトラブルがあるように、障がい者同士が生活するうえでも同様だ。職員が仲介しながら、潤滑油のようになり、生活を支援する。

ある日の夕食後、職員の一人が「Aさん(先述の統合失調症をもつ五十代の女性)がなかなか歯みがきをしてくれないんです」と言う。様子を伺いにいくと、たしかにAさんの表情は暗く、今は何をお願いしても断られそうな雰囲気。

こんなときは、歯みがきに誘うことは脇へおき、まずAさんとお話をすることにする。

「今夜の夕食で、何が一番美味しかったですか?」

「お魚が美味しかったです」と、うつむいたお顔でAさん。

「Aさんはお魚が好きなんですね。美味しいですよね。他に、Aさんの好きな食べ物は何ですか?」

最初は、「今まで歯みがきの話しかされなかったけど、なぜこの人はこんなことを聞くのか?」という怪訝なお顔をされる。こちらはお構いなしに、「Aさんの好きな食べ物の話がもっと聞きたい」という興味津々の顔をする。

話を聞きながら、「それはいつですか?」「どこですか?」と尋ねているうちに、好きな食べ物から派生して、一緒に食べた家族のこと、そのときの楽しかった思い出のエピソードを聞かせてくれる。暗く沈んでいた表情がだんだんと明るくなり、やがて目を輝かせて。「そうなんですね」とあいづちを打ちながら、こちらが笑顔になると、Aさんにも笑顔が生まれる。それは、話ができて楽しい、聞いてもらえて嬉しいと伝わってくるような笑顔。

笑顔になったところでようやく、「じゃあ、夕食も終わったし、寝る前に歯みがきしましょうか」と誘う。すると、「はい」と言って、みずから歯ブラシを用意してくれる。

寝る前も10分ほど話す。

Aさんの場合、不安を抱えていることが多いので、お部屋に入らせてもらい、「このぬいぐるみ、かわいいですね」「この写真、いいですね」と楽しいことを思い出してもらえるようにお話をする。ここでもやはり、好きなものについては、笑顔でいろいろなエピソードを話してくれる。そして、穏やかな気持ちになり、安心して眠ってもらえる。

福祉では傾聴、共感、受容ということが言われる。なかでも傾聴は、入居者さんがどんなことを感じ、どんなことを考え、どんな不安を抱いているかに注意して、ひたすら耳を傾ける。その際に、こちらの意見や要望は差しはさまない。傾聴は、この人は話を聞いてくれる、理解しようとしてくれている、と互いに信頼を築くためにある。

シフトで職員の交代があったり、何時までに何をするという決まりがあると、職員は時間にしばられてしまう。やることはすべて、時間までに終えるべきタスクと化す。次の行動へ誘うことが、お願いとなり、無理やりになってしまうことも。だが、支援の対象はモノではなく、感情をもった人なのだ。モノを動かすようには、人は動かせない。気分が落ち込んでいるときには、誰しも動きたくない。そこを、決まりだからと無理に動かそうとすれば、反発が生まれる。

こちらの仕事が10分ずれ込んだとしても、あとで挽回すればいい。入居者さんには気分よく、朝まで安心して眠ってほしい。だから、ほんの10分話をすることは何でもないことなのだ。これを省けば、不安で夜中に目を覚ますこともあるのだから。

「障がい者を支援する」と言われる。もちろん、知識や技術は必要だけれど、大切なのは、もし自分ならばこの状況で何をしてもらいたいかを想像することではないか、とわたしは思う。久しぶりに、Aさんの笑顔を思い出した。お元気にされているかな。

文:関野哲也


>> 次回「仕事の1コマ/06 #4」公開は2月16日(日)。執筆者は安達眞弓さん


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