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氷河期世代ど真ん中の楽観主義|運/03 #5|栗下直也

《人は悲惨だと思ったときに初めて悲惨になる。こだまでハイボールを飲みながら己の「運」について考えた》

栗下直也(Naoya KURISHITA)
1980年東京都生まれ。横浜国立大学大学院博士課程前期課程修了後、無職、専門紙記者を経て独立。著述家、書評家。経済記者出身でありながら、なぜか酒がらみの文章が多い。連載に「サボる偉人」、「あの人の引き際」、「名経営者のB面」、「こんなとこにもガバナンス!」。著書に『政治家の酒癖』、『人生で大切なことは泥酔に学んだ』他。
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平日の午後に新幹線のこだま号に乗り、京都から東京に戻っている。ハイボールを飲みながら、ノリ弁を食べ、1円にもならないこの原稿を書いている。

「何と僕は運が良いのだろうか」と続きを書きかけたが、果たして、「新幹線に乗りながらハイボールを飲み、金にならない原稿を書くこと」は運が良い人生なのだろうか。

文章を書くのが苦手な人からすれば「酒飲みながら文章を書くとか変態かよ」と笑われそうだし、同業者には「金にならない原稿なんて書くなよ、馬鹿野郎」とお叱りを受けるかもしれない。

それでも、幸せを感じてしまうのだから、どうしたものか。

40代半ばの僕は氷河期世代と世間ではいわれている。大学に現役で入って、足踏みせずに就職を希望した場合、有効求人倍率は氷河期の中でも二番目に悪いそうだ。「ちゃんとした会社に就職する」という点では、運が極めて悪い世代だが、僕は運が悪いとは全く思わなかった。

大学に進学したときから、「ちゃんとした会社に就職する」気がなかったからだ。

高校三年間、都内の通勤地獄を目の当たりにして、「車も家もいらない、朝早くから満員電車にだけは乗りたくない。給料が安くても、食えて、お酒をおいしく飲める職業に就こう」と決めた。

働くことへの期待値が低かったからだろうか。文系にもかかわらず興味のままに大学院に進学した。「日本なら食いっぱぐれることはないだろう」と思っていたからだ。就活はしてみたが、やる気が起きなかった。家を出ても面接会場にたどりつけず、そのまま飲みに行くこともあった。結局、進路が決まらないまま、奨学金という名の借金だけを背負って大学院を放り出された。貯金も尽きたので、半年後に重い腰を上げ、新聞広告で募集していた業界紙にもぐりこんだ。

自業自得とはいえ、多くの人はこの状況を「悲惨」と呼ぶのだろう。だが、当時の僕は全く悲惨だとは思わなかった。人は悲惨だと思ったときに初めて悲惨になることを知った。

それから約20年。紆余曲折はあったものの、高校生の頃にぼんやりと描いていた希望をかなえつつある。「会社に行かずに生活できて、酒をおいしく飲める」生活を送れているといえば送れている。運が良かったとしかいいようがない。

だが、僕は本当に運が良いのだろうか。「満員電車に乗らないで生活できて幸せな生活」は第三者からしてみれば「会社にもいかずに、昼間からフラフラしている可哀想な人」としか映らない気もする。犯罪でも起こしたものならば、近所のおばさんがマスコミに「たぶん働いていなかったんじゃないですかね。スーツ着ているところ、みたことないですいし。たぶんアル中よ……」と、あることないことを囁かれることだけは間違いない。

そもそも、昔に抱いたぼんやりした希望がかなったということは、価値観が大きく変化していないともいえる。それは運が良いことなのだろうか。ちょっとしたことで喜べて満足できる気質は、お金はかからないが、向上心に欠ける面は否めない。それは幸運なことなのだろうか。

新幹線は名古屋駅を通過した。

こだま号にしてはちょっと混雑しているが、幸いなことに僕の前の列には誰も乗り込んでこなかった。リクライニングを変な角度で豪快に下げられる心配はない。

やっぱり僕は運が良い。

文:栗下直也


>>次回「今年の出来事/04 #1」公開は12月1日(日)。執筆者は鰐部祥平さん

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