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もてなしたいけど難しい|自分をもてなす/05 #4|安達眞弓

《パートナーとのユニット活動が当たり前になっていたという安達眞弓。いまは少しずつソロ活動の楽しみを取り戻している様子》

安達眞弓(Mayumi ADACHI)
英語・フランス語圏の小説、80~90年代のドラマと音楽、映画に溺れて育つ。いくつになっても隙あらば歌う出版翻訳者。訳書に『この、あざやかな闇』『僕は僕のままで』、『どんなわたしも愛してる』、『死んだレモン』、『悪い夢さえ見なければ』、『ペインスケール』、『ジミ・ヘンドリクスかく語りき』他、多数。
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先月からNetflixで『クィア・アイ』第9シーズンの配信がはじまった。各分野のエキスパートである5人のゲイが、さまざまな理由で行き詰まりを覚える人々(ヒーロー)の生活を改造するリアリティ番組。わたしが自伝を訳したひとり、美容担当のジョナサン・ヴァン・ネスはセルフケアの達人だ。自分に手をかけることの大切さを説く。そんなジョナサンがよく口にするのが“pamper ourselves”。直訳すると「自分を甘やかせる」で、自分が気持ちよいことのために、しっかり時間を確保する。たとえば美容室に行く、おいしいものを食べる、通販で爆買いするのもいいかもしれない。思いつく限り、やってみたいことを書き出してみようか……。

旅に出たい。肩慣らしとして小田原に行きたい。小田原文学館から早川漁港に行って、市場の中にある食堂で魚のランチを食べて、金目鯛の干物を買って帰るんだ。しばらく海を見ていないので、海岸まで足を伸ばしたい。

イベントは配信じゃなくて、現場のライヴ感を味わいたい。年末年始恒例のゲラ攻防戦に負け、ゲラ2本を抱えて年を越した。そのため、せっかく対面チケットを買ったイベントをひとつ、泣く泣く配信に切り替えた。こういう「〆切に負けて自分のプライベートを曲げる」のを減らしていきたい。時間を上手に使えるようにしたい。

徒歩圏内に行きつけの店を作りたい。コロナ禍以降、リモート勤務の拠点を求め、若いファミリーが東京都下のこのあたりに流入したおかげで、複数ある最寄り駅周辺に彼らをメインの客層とする、小さくて面白そうなレストランやバーが増えてきた。幸いわたしはひとりメシに抵抗がまったくない。好きなとき、好きなタイミングで行けるのがひとり暮らしのいいところだ。できればカウンターの片隅で2時間ぐらい本を読みながら飲んでいても、知らん顔してくれる店を見つけたい……というか、それができるまで通い詰め、店主に顔を覚えてもらわなきゃいかんね。

結婚してから26年間、基本、ふたりひと組のユニット活動だった。今の一番の趣味、合唱も、年を取っても夫婦で打ち込めることを探そうとして見つけたもの。独身時代はひとり焼肉だって、ひとりサウナだって、ひとり飲みだってぜんぜん平気だったのに、夫とふたりで出かけるのが前提の日々が30年近く続いたら、夫婦での行動が基本となり、気楽さと楽しさに慣れきってしまい、ソロ活動すらままならない、それが、今のわたしだ。

コロナ禍で外出自粛を余儀なくされた2020年以降、夫の病気と死を経て、何かいいわけを作っては引きこもるクセがついてしまった。夫がいなくなって、妻版『空の巣症候群』的な喪失感も加わった。だからあんまり張り切って外に出ず、まずは体のメンテナンス。しっかり休んだほうがいいのかもしれない……とか言ってると、結局外に出なくなるんだ。ループだ。

自分をもてなす、自分を甘やかすって、意外と難しい。わたしみたいな先天性社畜気質にとっては特に。だけど残りの人生は最後までひとりがほぼ確定したし、ジョナサンのように、意欲的に楽しんでいかないとね。でも、楽しめるようになるまで、もうちょっと時間がかかるかもしれない。やらなきゃいけないと思うと、余計に億劫になる。

というわけで年始早々、買い物ついでに駅前にできたワインバーでランチを食べてきた。キッシュプレートにスパークリングワインと、いかにも飲みメインのランチ。明るくて清潔な店内、つかず離れずで気持ちいい接客のマダム。思い切って自分をもてなしてみてよかった。気分が晴れたし、戻ってから再開した推敲もはかどった。心の澱が抜けた、というか。思い切って自分をもてなす……そんなこと言ってるようでは、もてなしがまだまだ足りないよね。ジョナサンへの道は遠し、ひとまずあの店に通うことだけは決定だ。

文:安達眞弓


>>次回「今年の出来事/05 #5」公開は1月21日(火)。執筆者は栗下直也さん

文中に出てきたジョナサン・ヴァンネス・の自伝


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