酒を控える、はずだった|今年の出来事/04 #5|栗下直也
《酒に関する著作が多く、自らも酒飲みの栗下直也。思うところがあって酒を控えてみた結果》
【お知らせ】:「本の雑誌」2025年1月号の「2024年度ベスト10」で「ノンフィクションベスト10」を寄稿しています
先日、友人に珍しく手紙を書いた。
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この度、思うところがあって、酒を少し控えることにしました。酒を止めると書かずに、少し控えると書くところに、未練がましさを感じるかもしれませんが、できないことを書くほどむなしいことはありません。
とはいえ、あなたからすれば「また言っている」「何度目の節酒宣言だよ」としか思えないかもしれません。私の「酒を少し控える」は羽鳥慎一アナウンサーの毎朝の「おはようございます」くらい珍しくないことは否定できません。二日酔いで便器と向かい合うたびに、そのようなセリフを胃液とともに吐き続けてきたのは否定できません。
ただ、今回ばかりは違うのです。
年末で、会社を辞めて2年が経ちました。この2年のはやさに驚愕しているのです。去年の記憶どころか、今年1年を振り返ってみても、記憶がほとんどありません。
贅沢をしなければ暮らせているし、お金を借りているわけでもないので働いて収入は得ているのでしょうが、何をしたかの記憶がほとんどないのです。「我ながらいい記事を書いたな」と思う仕事が去年の出来事だったりするのです。
社会人になったばかりの頃、管理職のおじさんが「20代の3カ月くらいの感覚で1年が終わる」と聞き、「それは怠惰なだけだろ」と心の中で突っ込んでいたのですが、まさにその通りです。衣替えもままなりません。
「このまま、5年、10年と時を重ねるのだろうか」と不安になり、なぜ、これほどまでにあっという間に1年が過ぎるのだろうかと、シラフでもあまり回らない頭を必死に回してみたのです。
1日は24時間ですが、どのくらい活動するかは人それぞれです。
私は8時間以上、寝ます。寝すぎに思われたかもしれませんが、これくらい寝ないとただでさえ使えない頭脳が全く使いものにならないのでこの睡眠時間は無駄とはいえません。
8時間寝ると、残りは、16時間ですが、16時間もある気がしません。10時間ちょっとしか活動できていません。
この原因こそが私の1年をあっという間に終わらせている犯人に違いないのですが、ちょっと考えるだけで答えが見つかりました。
酒です。「まあ、依存症にでもならなければ、酒くらい少し飲んでもいいだろ」と思われるかもしれませんが、ちょっと計算したら恐ろしいことに気づいてしまったのです。
平日は早ければ17時過ぎから飲み始めます。ガブガブ飲むので19時くらいになると、記憶が怪しくなり、20時以降になるとパッパラパーになってしまいます。23時に寝るとすると(実際、それまでもほとんど寝ているのだが)、最低でも1日3時間、何をしているわからない時間があることになります。
週5で飲むとすると「何をしているかわからない時間」は1週間で15時間、月に60時間になります。60時間を日換算すると2日半に相当します。つまり、1カ月が普通の人に比べると2日半少ないことになります。
怖くて、これ以上、計算したくなかったのですが、年換算すると30日になります。1カ月です。つまり、私は1年が11カ月しかなかったのです。1年が過ぎるのが短いわけです。
試しに、1カ月ほど前に酒を1週間控えてみました。なんということでしょうか。仕事がむっちゃはかどりました。夕飯を食べても仕事ができました。朝起きて、歯磨きをしても「おえっ」となりませんでした。おそらく、今の仕事量の4倍はこなせるでしょう。
ただ、私はそのような環境を放棄して、飲み始めました。
私は働いて何をしたいかというとお酒を美味しく飲みたいのです。ですから、飲まずに働き続けては何のために働いているかわからなくなってしまいます。飲む日があるからこそ、飲まない日が輝くのです。生産性も上がるのです。飲まなければ仕事がめちゃくちゃ捗るのだから、飲まなければいいといわれると本末転倒になってしまいます。
これは酒に限りません。
誰かにとっては無駄なことでも誰かにとってはかけがえのないことはよくあることです。
シラフで書いているにも関わらず、ちょっと話が飛躍してしまいましたが、1年を11カ月で過ごすにはさすがに無理があるので、来年はせめて11カ月半くらいにしたいものです。
文:栗下直也
>>次回「今年の出来事/05 #1」公開は1月1日(水)。執筆者は鰐部祥平さん