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余白のアートフェア福島広野 会場割り振りの覚え書き その8(清明館PART2)


フジツボと茶室と煙突と

 さて、ここでもう一度、清明館の平面図を。

 今回はABCの3部屋についてです。

 実は今回、清明館で展示された方はほとんどが事前に二ツ沼総合公園を下見された上で、清明館を希望されたアーティストさんでした。

 その中でも最初に清明館を下見されたのが西永和輝さん。ロンドンのスレード校でMFAを取られたアーティストです。

僕の作品の多くは、木や石膏、紙、液体、機械加工された金属等、様々な技法や材料で作られた、対照的な要素の組合せで成り立っています。一方でそのアイデアは、異質な存在と人間の関係に軸を置いており、想像力、好奇心、欲望、恐怖といった反応に興味があります。一つの彫刻の中にいくつもの対称軸を重ねていくことで、単なる対照を超えた、より複雑度の高い表現を目指しています。

西永和輝アーティスト・ステートメント(余白のアートフェア版)

 今回お持ちいただいたシリーズはアルミフレームに石膏を載せた作品が中心でしたが、西永さんの作品コンセプトが一番よくわかるのは、下の画像で床の間に飾られている作品。

 これです。「barnacles」。barnaclesというのはフジツボですね。堤防や船にくっつく生き物。石灰質(炭酸カルシウム)の殻が富士山みたいな形なんでフジツボ。

 西永さんのこの作品では、西洋式の木造船の構造材の模型から石膏(硫酸カルシウム)でできた生物のような部分が伸びているわけですが、サイズ感がポイントです。

 フジツボって一つ一つはそんな大したサイズじゃないですよね。せいぜいシジミとかアサリの貝殻くらい。ところが西永さんのこの作品は船に対するフジツボのサイズがとんでもなく巨大だし、形状も不穏です。ステートメントにあるように、人間の文化や文明では制御出来ないような、つまり人間の世界から見ると異質な何かの存在や力を、こういった形で表現している。

 ちなみにフジツボは海沿いに建てられた原子力発電所の取水口(二次冷却水を冷やすための海水を取り入れる穴)の周囲にもくっついて、二次冷却水の冷却をしにくくするそうです。

 西永さんの作品は廊下にもありましたね。

 クール。

 西永さんは実は日本の骨董についても非常に詳しい方なので、和室の使い方もさすがの一言。

 文明と自然の関係性を、ユークリッド幾何学的な形状をした木や金属のフレームと、未知の、そして人間との対話が不可能な生物のような奇怪な形状の石膏の対比で見せてくれた西永さんの作品群。様々な自然をメタファーとして表現する茶室という空間にそれらが配置されたこと。更には茶室のすぐ外に聳える広野火力発電所の巨大な煙突。

 作品そのものの構造から空間の性質、さらにその空間の外にある空間まで取り込んだ、極めて重層的で壮大な展示になっていたと思います。西永さん、ありがとうございました。

山形のアーティストの分厚さを思い知らされる

 西永さんの展示を挟み込むような形で展示されていたのが、山形からいらっしゃった二人組ユニットあるほなつきさん、そして小関一成さん。あるほなつきさんは田賀陽介先生の推薦で、小関さんは公募だったのですが、以前からお知り合いということで、今回はコラボでの展示を希望されました。

 最初はCの6畳間をご案内したのですが、Aの水屋も空いているならそちらも使いたいですということで、水屋にも作品がインストールされることに。

 実は、このコラボを提案されたときには、結構意外だったんですよ。

 あるほなつきさんは直近の作品がかなりコンセプチュアルな、そして写真ベースであるとしたら相当にポストプロダクションで作り込んだものですし

 一方の小関さんは日本よりも欧米で(極めて)高く評価されている幻想的なネイチャーフォトの作家さんです。とはいえ、やりたいというものをお断りする理由は皆無ですから、おまかせしますとお伝えして、さて蓋を開けてみたら・・・

 動画は残ってないんですけど、私、最初にここの展示見た時にかなり興奮して「かっけー!」「これ超ヤバくね?」とか叫び続けて、あるほなつきさんと小関さんに「若いですねえ」と大笑いされてました(ちなみに私が一番年上です)。

小関さん

 小関さんの幻想的なネイチャーフォトと、文明や社会への批評的な眼差しを強く感じさせるあるほなつきさんの写真作品。この二つのシリーズが同じ部屋に並ぶことで、お互いがお互いを引き立てあってましたね。

 大前提として、小関さんの作品もあるほなつきさんの作品も、極めて技術的に高度なことをやっておられます。一番高価なカメラに一番高価なレンズを渡して、同じもの撮ってこいと言っても無理。絶対に無理。構図の作り方、色の出し方、プリントの仕上げ方、全てが超絶技巧ですよこれみんな。

 つまり、どちらも自然を写しているようで(実際に自然を写しておられるんですが)、作品として完成させるまでにはそれぞれの作家性、こういうものとして仕上げるんだという強い意志と、それを支える経験、技術という、「人間」の塊が存在している。

 言い換えれば、どちらのシリーズも自然というものについての確固たる思想があって、それが作家の外部にある自然と、作家が作り出した作品の中の「自然」を繋ぐ媒質になっているということです。

 これらの作品を「単にキレイなだけ」「百貨店で売られるようなインテリア」みたいにしか見られないとしたら、非常にもったいないですね。ええ。この二組の超絶技巧作家が何を考えて、どんな思想をもってこれらを福島第一原発事故被災地にインストールしたか。それは優れてコンセプチュアルで批評的なアート実践ですから。

水屋にインストールされた「Hirono Thermal Power Plant」と「空気売の少女」

 西永さんの展示の奥、まさかの水屋の中に大作群がひっそりとインストールされていました。

 あるほなつきさんが事前下見の際に撮影された広野火力発電所の写真、その下はどこかの集合住宅ですね。これ、本当はセットでお買い上げいただくのが正しいんだろうな(まだ間に合います)。

 パンフォーカス(画面中の全ての被写体にピントがあっているように見えること)で無彩色、そして硬調(線や影をくっきりはっきりと表現するプリント技法)で描写された火力発電所。そこは純粋な工業プラントで、人は住んでいません。

 対照的に、「空気売の少女」シリーズは淡い色彩の乗った軟調(線や影がやわらかく表現されるプリント技法)で描写されています。被写体となっているものは全て人が住んでいる空間です。

 お隣の部屋にある西永さんの作品群とはまた別の方法で、文明とは何か、人間とは何かを問うシリーズです。こんな凄いものがアートフェア会場の最深部にひっそりと!!! 見逃した人は全員後悔してください。

水屋の中からあるほなつきさん


インストール中の西永さん

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