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日報 4月13日 世界一長い3分と、世界一短い1時間

記入者:かくなみ みほ

人によって、場面によって、
時間というものの捉え方はまるで変わってしまいますね。

例えば「3分」。

近所のコンビニに歩いていく3分なら、
長いとも短いとも感じないかもしれません。

お腹が空いているときの3分なら、
2分半でカップラーメンを食べ始めてしまうかもしれません。

試験の残り時間3分なら、
内容の出来によって何を感じるか180℃変わるでしょう。

隣町までの電車一駅分の3分なら、
車内の混み具合が天と地を分かつかもしれません。



時間に対して“待っている”、“耐えている”と思うと、
たとえ「3分」だとしても、時計の進みが遅くなったように感じます。

時間の存在を忘れるくらい“夢中になっている”、“味わっている”ときは、
たとえ「1時間」だとしても、あっという間に時計の針が進む感覚になります。

3分間を長く感じて、
1時間を短く感じる出来事が、
世の中にはきっと沢山ありますね。



生きていると「時間」が流れているように見えますが、
実際は「今」しかないんだと思います。

時計を気にしないで一日すごしてみると、
「今」の連続で過去や未来という時間の概念が生まれたんだ、
と、しみじみ思えてきます。



今こうして日報を書いている時間は、
夜が明ければやっぱり過去になって、
新しい「今」の連続の一部になるでしょう。

だからこそ「今」感じることは、
わたしは、夢中で受け取っていたいです。




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