日報 3月26日 興味・関心は自分の中にある
記入者:かくなみ みほ
誰かに教わったことはないのに、
心や身体が自然と動くことがあります。
「夕焼けは美しいものだ」と聞かされたことはありませんが、
どこで見る夕焼けも、わたしにとっては美しいです。
沈むほどに赤く染まる夕焼け、群青色が混じる頃合いの夕焼け、
海に溶ける夕焼け、山にしずむ夕焼け。
今日の夕暮れ時は、ちょっとやるせない気持ちでした。
でも、ゆっくりと色と雲とが移り変わる夕焼けを見て、
「きれいだなぁ……」と思いました。
昔もらった通信簿に、
「興味・関心」という評価項目がありました。
「この教科にどれほど興味と関心を持って取り組めたか」
を、評価する項目です。
通信簿の項目に上がる教科の内容は、
正直ほとんど興味を持っていませんでした。
つまらないと思うことにまで、興味関心は抱けません。
でも、“何にでも”一生懸命取り組んでいないと、成績が悪くなります。
窮屈な思いを押しこめて、なんとか通信簿の評価をやり過ごしていました。
数字が好きな子、言葉が好きな子は、
その時間は勉強とも思わず没頭していました。
身体を動かす時間が、わたしにとってのそれでした。
「体育」という時間は、評価など気にせず楽しく過ごしました。
得意ではなく、単純に好きだったからです。
「図工」という時間も同じでした。
どうやって作ろうかなぁ……と考える時間が好きで、
考えては作り、作っては考えをずっと続けていたいなぁと思っていました。
「勉強しなくちゃいけない」と最初に思い込むと、
“せばならない”から抜け出せなくなり、その事象がつまらなくなります。
最初に「あ、これおもしろいな」と思ったものは、
勉強なんて思わず、食う寝るも忘れてのめり込んでいけます。
この順番を間違えると、
義務や責任をまっとうするだけの日々になりかねない。
興味と関心は、自分の中にある。
それと共鳴するように、
不意に、興味関心事がいなずまのようにやってくることもあります。
いなづまがやってきたとき、
そこに他人の評価を持ち込む必要はない。
今はピーマンが嫌いでも、
チンジャオロースやナポリタンを食べたら、
ピーマンとの距離が縮まりそうじゃないですか。
物事のどんな行程に自分が興味と関心を抱くのか。
よーく見ていてあげたいです。
そしたら、
誰かに「勉強しなさい」なんて言われなくても、
何にでもアプローチできるんじゃないでしょうかね。