日報 3月24日 月曜日こそ、憂鬱だろう
記入者:タラバミント
時の流れに「平成」と名前がついて、31年が経った。
「昭和」から「平成」に変わるとき、
人の心にどんな変化があっただろうか。
「平成がそろそろ終わる」というムードがあって、
平成生まれの人はついにノスタルジーを感じるんだろうか。
僕は平成元年に生まれた。
生まれた年号の話題になると、
「なんと!キミは平成生まれか!」
と、必要以上に驚かれる。
僕はその度に思う。
たった数ヶ月、数年の差じゃないか。
あなた方にもこの世に生まれた日があるだろう?
僕も同じだよ、と。
名前がつくと、途端にその「存在」を認識する。
物事の終わり、始まり、
そういう区切りを大切にする文化も、
行きすぎるとその「存在」と「名前」に追われてしまうと思う。
曜日という概念が生まれ、
日々、7日に1度の割合で「月曜日」がやって来るようになった。
水曜日や日曜日も、同じ割合でやって来る。
僕は昔、「月曜日が来る」と思うと、
なんとも憂鬱な気持ちになっていた。
夕方、日曜のテレビアニメを見て、
「明日は学校か……」と、ぼんやり思った。
時間の自由を謳歌した休日を思い返し、そして、
平日の始まりの「月曜日」の存在に、ほんの少しの憂鬱を覚える。
そんな僕の気持ちを知った「月曜日」は、
どんな気持ちだっただろうか。
きっと、さぞ憂鬱になっただろう。
『お月さまは喜ばれるのに、なんで“月”曜日は嬉しくないの……?』
月曜日はそう思ったかもしれない。
平日と休日は、
よく考えなくとも平日のほうが日数が多いとわかる。
平日の存在に憂鬱を抱く前に、
平日の過ごし方を省みたほうがいい。
明日は来ないかもしれない。
でも、明日をめがけて僕は布団に潜りこむ。
平成も平日も、ただの名前だ。