夜のチョコレート
今日は隣町のスーパーまで買い物に出かけたのだけど、それは近所のスーパーにお気に入りの生クリームが売っていないためである。
国道の雪はほとんどとけていて、路面が見えていた。
北海道って2月が一番寒いイメージだったんだけどなぁ。
髪の毛が一本一本凍って、それが白髪みたいで、あと鼻がくっついて、家は羽毛布団の中みたいにほかほかあったかくて。
東京生活の方が長い私がついに北海道の「THE・冬」を経験を元に語れるようになってきたなぁと思っていた矢先、不意に春のつま先を拝んでしまったような心地である。
一杯のお茶とチョコレート。
この2つは、最近の夜のお供になっている。
今も、2種類のチョコレートをぽりぽりやり、好きなお茶を飲んでいる。
最近仕事では「意味のあること」ばかりやっている。仕事なんだからそれは当たり前なのかもしれないし、意味があるっていうのは自分の行為そのものを肯定されたような気持ちにもなれるから、とっても悪い気はしない。
でも今日は、「意味のないこと」を尊重したくなった。
そういう考え方は前から持ち合わせてはいるんですが、この世の人間関係の中で生きていると、“できるだけ意味のありそうなこと”を選んでしまいます。誰かの役に立つ、自分のためになる、みたいな。
仕事なら、先にも書いたけど、それは当然やるべきことで。
それってプライベートにまで当てはめる必要はないのに、仕事をしている時の感覚が、そのまま私生活にも染み込んでしまっている。ちゃんとやろう、とか、意味を持たせよう、とか。
ちょっと心身が形状記憶合金みたいになっていたので、今日はもう何も考えずに日記でも書こうと思い、ゴールを決めずに走り書き始めました。
時間を決めて、その瞬間風速的な中で生まれるものにはやっぱり勢いや確信がいっぱい詰まっている。その行為のガス抜きとして、こう、だらだらとしたものの書き方でアウトプットするのは、自分のためには良いもんだ。
それで、隣町のスーパーまで買い物に行って、そういえば家のたまごがあと一個だったからついでに買おうかと思ったんだけど、あんまり安くなくて(この値段で買うならいつもの農家さんから有精卵買うわ!)と思い、まぁあと一個残ってるから、それを使えばいいかと思い、たまごは買わずに帰った。
家に帰ると、たまごはなかった。
夫に、ごめん、と言われた。
「ゆで卵かと思って、塩まで用意してね。割った時は焦ったよ〜」
買い物に出かける前、一個だけ残っていたたまごに、私は何の気なしに顔を描いていた。それが、夫の顔のようになって。
「だから僕に、ゆで卵を作っておいてくれたのかと思って」
塩まで用意して、いそいそ食べようとして、いざたまごを割った時の夫を想像すると、ちょっと胸が苦しくなった。
ごめんよお父ちゃん。そのたまごに、特に意味はなかったの。