音楽に救われるということ
用事があってパソコンを立ち上げたので最近思うことを記載。
音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見たりする意欲が湧いてきた。
気分安定剤を飲んで死んだように眠ることもあるけれど。
最近は歌詞の意味を考えて曲を聴くことが多くなった。
去年、銀杏BOYZのライブに行ったときに峯田和伸が「歌を自分でこういう意味かもしれないと解釈したらそれはもうあなたのものです。」と言っていた。
私はアーティストが大事に創った音楽を的外れな解釈して、それを本人の見えるSNSなんかで公開してしまったらなんだかすごく失礼な気がする。
そのため、歌詞への解釈や共感は自分の中で留めておくことにしている。
必ずみんなどこかに「何も知らないくせに」と思っていると思うから。
私だって思う。
(読者さん、思ってなかったらすみません。)
居酒屋やカフェなんかで「私はこの歌詞をこう解釈したんだけど君はどう思う?」と意見交換するのはすごく好きだ。
例え意見が違っても、そういう捉え方もあるよねと考えさせられたり、帰り道はその曲を聴きながら帰るんだ。音楽って最高の酒の肴だ。
私はいつも音楽に救われる。
でも音楽じゃなくてもいいし、映画でも本でも美術作品でもなんでもいい。
自分で勝手な解釈をして、何度も何度も作品に触れて勝手に救われる。
序盤で「的外れな解釈して、それを本人の見えるSNSなんかで公開してしまったらなんだかすごく失礼な気がする。」と述べたが考えるのは自由だし救われるのも自由だと思う。