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SNS依存と青春時代について

「デジタルデトックスは自律神経に良い」と今日YouTubeか何かで見た気がする。

自分で言うのも何だが、高校生の時は上辺の人間関係を築くのが上手かった。(と思う)
文化祭なんかの行事の時はみんなの輪をこっそり抜け出してひとりでボーッと校内を歩いていたりしたけど、友達はそれなりに居たから孤立することはなかった。
「周りの目」なんか気にならなかったけど、その頃から孤独感をいつも感じていた。


高校3年生の時「サブカルチャー」という言葉をネットで見かけるようになった。
「アーバンギャルド」というバンドを聞くようになった。
当日、「サブカルチャー」と聞くと「相対性理論、神聖かまってちゃん」なんかと並び名が挙がるバンドで、ファンの総称である「アーバンギャル」がTwitterで生き辛さをつぶやいているようなファン層だった。
その頃私は初めてTwitterに登録した。
タイムラインは「死にたい」と言う言葉で埋まってしまうほどだった。

それを見たときに私は「居場所」だと確信した。

休み時間も家にいる時もTwitterに夢中になり勉強すらしなかった。
「つぶやき」をする内容は総じてマイナスな感情の掃き溜めとなり、自分から毒素が抜けていく気がした。同時に負の感情をこんなに表に出していいんだ、と安心感を覚えるようになった。

それから1年くらいしてiPhoneが普及し始めた頃クラスの女子がTwitterをやり始めていた。
「Twitter教えて!」と言われても頑なに「ごめん!やってないんだよね!」で通した。

その後間もなく「メンヘラ」という言葉を目にすることが多くなった。
アーバンギャルドはまさしく「サブカルメンヘラ女子(今思うとなんだそれ)」が聞く音楽となっていった。(この頃「メンタルヘルス」というど直球のタイトルのアルバムを出している)
アーバンギャルドは所謂「メンヘラ」である私のことを歌っているんだと信じて止まなかった。そして私の事を分かってくれる人はTwitterにしかいなかった。

どんどん負の感情をTwitterに吐いた。「死にたい」「学校に行きたくない」と書き込むとファボが来る。承認欲求が満たされた気がした。
フォロワーの女の子の真似をして具合悪い振りをして保健室で休むことを覚えた。
現実なんて心底どうでもいいと思った。

もっともっと私の事を歌ってる歌が聞きたい。

そんな気持ちが膨らんだ時、ネットで見つけたまとめサイトの「鬱ロック」というジャンルを片っ端から聞きながら、ずっとTwitterに張り付いた。
Twitterを開けば、同じ感性の人が同じような音楽を聞いて、同じように「死にたい」とつぶやき慰め合っている。心底居心地が良かった。


そうやって現実で素の自分を晒すことが怖くなり、SNS上が本当の自分の姿となり、SNS依存になっていった。

程無くして、専門学校の実習先で、現実での人間関係が上手く行かず「適応障害」と診断される。
(それくらいの時の写真です)







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