弱い自分を受け入れるのがつらい
誰かと競争すれば、勝つことも負けることもある。それは仕方のないこと。
でも、自分との戦いは別だ。心の持ちよう次第で、勝ち続けることも負け続けることも十分にあり得る。
そして、弱い自分自身に負けたときの痛み・苦しみは、人と競って負けた時とはまた違った種類の辛さがある。
例えば、自分で立てた目標を達成できなかった時。
10km走るつもりが、5kmしか走れなかった。
「noteを100日連続で更新する」と宣言して、50日で挫折してしまった。
限界を越えられなかった、全力を出し切れなかった自分の弱さ。
「もっとやり切れたはずだ」「やると決めたことすら満足にできないのか」
そう思うと、悔しさや情けなさで気が狂いそうになる。
どうして、自分で決めた目標を達成できないのだろう。
自分以外の人間は、こんな痛みもやすやすと乗り越えているのだろうか。
そこで、考えた。
◆◆◆
自分で立てた目標を達成できない原因には、大きく2つのパターンがある。
一つは、そもそもの目標設定が適切でない場合。
「目的の標(しるべ)」と書くように、目標とは第一に目的を達成するための指標であり、それは他の人にも分かるような具体的かつ客観的なものでなければならない。そして、なるべく行動指標であることが望ましい。
(実は適切な目的を設定する方が何倍も重要で効果的だったりするのだが、それに触れると長くなるし多分まとまらないので、今回は割愛する)
目標が抽象的すぎる、具体的な行動が明らかになっていない、目標設定がアバウトすぎる。
その場合、具体的・客観的で且つ実現可能な行動指標となるように、目標を設定しなおす必要がある。
そしてもう一つ。
具体的・客観的な行動目標を設定できているにもかかわらず、それを達成できなかった場合。
この場合、目標を立てた当人の自己評価と、実際に発揮できる能力との間にズレが生じている可能性が高い。
率直に言えば、自分自身を過大評価している。
過去の成功体験、経験不足ゆえの万能感、肥大したプライドなど、様々な要因から自身の能力について誤った判断を下してしまい、それらが積み重なることで「できると思っていること」と「実際にできること」のギャップが拡がっていく。
「本気を出し切らなかった」「コンディションがイマイチだった」
「やる気が出なかった」
言い訳はいくらでも用意できるけれど、それもふまえての実力だと思った方がいい。
達成できるはずのことができなかったというのは、その人にとって動かしがたい事実なのだから。
この自己認識と現状のギャップを埋めるためには、どうしても「できない自分」を直視せざるを得ない。少なくとも、僕の場合はそうだった。
できない自分を直視すると、当然自己評価を下げることになるわけだから、少なからず精神的な苦痛を伴う。
「ああ、俺ってこんな程度しかできないんだ」
悔しさや無力感を正面から受け止めつつも、現状の自分をより良い方向へ高めていくために、新たに目標を設定しなおす。
そうすることで、初めて健全な成長が見込めるんじゃないか。
もちろん、自己認識に実力を間に合わせる方法もあるのだけれど、自分の肌感覚としてはあまりオススメはしない。
できない自分から目を背けようとすると、直面している課題に真正面から向き合わないことで、自分が目標を達成できる可能性を残そうとする。
具体的には、途中で手を抜いたり妥協したりして、「本気を出せば俺はできるはず」といった感じで、自分に言い訳したり自己正当化を試みる。
すると当然、努力の量も質も積み上げられなくて、いい結果も望めない。
そして自己評価と実際の能力とのギャップは、さらに広がっていく。
だから結局、どうしてもできない自分からは逃れられないわけで。
観念して、弱い自分ごと引き受けてやっていくしかないのだな。
そう思ったわけです。
僕は今、自分で決めた目標を破ったり妥協したりしそうになった時「お前は努力するしか能のないクズだ。何も考えず、とにかくやれ」と言い聞かせている。
正直、オススメしません。自尊感情が低いので、それ以外の方法を思いつけないのです。哀れなり。
他にもっといいやり方があったら教えてください。
あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。