2023/6/19
「書くことはおそろしい」と、尊敬しているライターの方がかつて語っていた。
その意味をようやく理解できた気がする。
自分以外の言葉を預かったときのプレッシャーを、正直ナメていた。自分の匙加減ひとつでその人のイメージを歪めてしまうのではないか、とんでもなく嫌な人間に映してしまうのではないかと思うと、たちまち恐ろしくなってキーボードを打つ手が止まる。一つのてにをはの選択、一つの句読点の打ちどころにさえ神経はすり減って、1時間経って進んだのは立ったの数十字、というのはいつものことだ。
人の言葉を預かることが、これほど怖いこととは思わなかった。
違う。嘘だ。
本当は変なことを書いて、当人に批判されることが怖い。
格好つけたことを言って顔も知らない誰かに揶揄されるのが怖い。
「この記事は話題になるかもしれない」と期待しながら投稿して、全く読まれないのが怖い。
2年くらい前から、自分が感じたり考えたりしたあれこれを文章にまとめて、それを公開するという行為の心理的ハードルがグッと高くなってしまった。
別に炎上したとか、トラウマになるくらいショッキングな出来事があったとかいうわけではない。
自分で自分を見る目が厳しくなった。
僕の中にいる審査員としての僕が、書き手の僕に痛烈なダメ出しを浴びせる。
書き手の僕は萎縮して、何か書こうとすると頭が真っ白になる。
そうしていつの間にか、書き手の僕は挑むことをやめてしまった。
「人のために書きたい」なんて大ウソだ。
僕は、いつだって自分のことしか見ていなかったじゃないか。
捨てきれないプライドが、まだまだたくさんある。
自意識を持つことそれ自体が悪だとは思わないが、自分を守るためのプライドは本当に、本当にクソほどの役にも立たない。
「人のために」なんて綺麗事はもうたくさんだ。
あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。