078-揣摩臆測 ‟sophia”の向こう側
【2011年11月某日 笹塚 回想中】
『お互い言い過ぎたのだから』という咲夜さんの仲裁でsophiaさんが‟暴走”したということだったけど、そのときの話を聞いたわたしには、‟暴走”というほどのことではないと思えた。
結果的には、そのとおりだった。
あのときの松乃さんからの詳細な第二報からは、ほぼいつもどおりのsophiaさんのようすがうかがえたから。
まったくの、本当にまったくのわたしの無責任な当て推量なのだけれど、sophiaさんは良かれと思ったアドバイスで思いのほか反発を食ってカチンときたこと以上に、咲夜さんからなだめすかされたことに相当なストレスを感じたのだと思う。
ストレスが強すぎて‟sophiaでいること”が難しくなったから、一時的にsophiaをみんなの前から隠した。それが真相だったのではないかなと。
中の人とアバターの同一性はプレイヤーによって様ざまだろう。
実際の自分が隠れているぶん、プレイヤーはもう一人の自分を演じる余地がある。
当然、ほぼ自然体の自分という人が圧倒的多数なのだろうけれど、憧れを強く投射している人もいるだろう。現実とは真逆の個性を楽しんでいる人もいるだろうし、性別や世代すら演じて楽しんでいる人もいるだろう。
自分のアバターを‟現実の自分らしさ”から解き放つ人がいる一方、逆にその‟らしさ”の純度を極めて‟本来あるべき自分”に縛り付けているひともいると思う。
sophiaの中の人は豊富な知見と論理性、深い洞察力とそれらにともなう説得力を持つ人だ。
自身の理性的でウィットに富んだ言動、高いコミュニケーション能力や求心力も長所として自覚していて、自負もしているはず。‟sophia”というマイキャラ名は伊達ではないと思う。
‟sophia”は、そんな‟精神的コンディションが良いときの自分”をほぼそのまま投影したキャラクターだろう。
そう。‟精神的コンディションが良いときの自分”……。
短所のない人格は存在しない。
たぶんsophiaの中の人は自分の長所をよく自覚するように短所もよく自覚していて、その短所がひとたび頭をもたげたときにはすべての長所を機能停止させてしまうこともよく理解しているのだと思う。
おそらく現実世界でそんなことをしばしば経験し、そんな自分の性質を人一倍疎ましく思っているのではないだろうか。
その短所とは、飛び抜けた長所に裏打ちされた自己肯定感の強さと表裏一体をなす暗部、‟プライドの高さ”。それと、そのプライドが傷ついたときに容易く理性を感情に翻弄され、その制御を失ってしまうことだ。
現実世界の彼女も、自分の長所によって周囲の物事がうまく回っていたり、人の和が形成されていたりすることに喜びを感じ、そのためにはきっと努力を厭わないはず。
ただときにその努力がともすると行き過ぎて、長所は裏返り高いプライドや強引さという短所に姿を変える。
その短所はふだんから自覚、自制し抑制しているからこそ、それが露呈し他人に指摘されることは彼女の心に大きな動揺をもたらす。
自分の短所も抑制できない、そのための努力もしていないと思われるのが、プライドが高く自己肯定感が強いぶん受け入れがたいだろうから。
‟sophia”は中の人にとっては‟自然体”で、(こと情報伝達に関しては)単なるインターフェースという認識だろうけれど、実際は自制の果てに短所を徹底的に沈殿させた上澄みの‟本来あるべき自分”を無意識に投影しているのではないかと思う。
現実と同じという意味では自然体ではあるけれど、自分の良い部分だけ表出させるキャラであればある意味それはロールであると言える。
いずれにせよ沈殿物である短所という‟滓”が露呈するのは、sophiaというバーチャルなキャラクターを介しても受け入れがたかったということ。
ひとたび他人に指摘されれば瞬間的に強く反発してしまい、頭ではわかっていてもすぐにはそれを認められない。
傷つくとわかっている恋路から風香さんを遠ざけようと、自身の知る景虎さんの過去の女性遍歴を教え「好きになるのはやめておいたほうがいいわよ」と忠告したsophiaさん。
好意を寄せる特別な相手として自身の誕生会に招待している景虎さんのことを悪く言われ「なんで誕生日まえにそんなこと言うの」とショックを受け噛みつく風香さん。
風香さんに噛みつかれ、自分の意図とは逆に傷つけてしまったことに気づきながらも、それを認めるよりも早く感情に理性を吹き飛ばされたsophiaさんは『自分は正しいことを言ったまで。しかもあなたのためを思って言ったこと』と理屈で強引に忠告の正当性を保とうとして衝突。
完全に短所に支配されたsophiaさんは自己嫌悪に陥りながらもアンコントロールから復帰できない。
だから咲夜さんからなだめ諭されたsophiaさんは、よけいに意固地になり引っ込みがつかなくなった。そんなところだろう。
sophiaさんはこれ以上口を開けばきっと感情に押しつぶされ変形した理屈で反発してしまうことを自覚していたから、そんな‟あるべき自分”と程遠い‟sophia”というか中の人の‟本性”を絶対に相手に見せないよう、話し合いの場から離れ、ふたりと接触を断ったのだろう。
それは暴走とはすこし違う。むしろ理性的な‟sophia”を貫いたとすら思う。
だから自身が冷静さを取り戻し‟sophia”というロールを再び演じられるようになれば、関係修復をしに戻ってくるはずだ。
sophiaさんが今回の騒動に無関係な一切のフレンドとも接触を断っているのは、万が一にも‟sophiaらしからぬ情緒”を誰にも悟られたくないからだと思う。
どちらにしろ‟sophia”を傷つけないための自制心からくる行動なのだとわたしは思っている。
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