070-message from matuno

【2011年10月5日】
『昨日、一応最後のお話ししてきました』
 そんなふうに始まるメッセージが、松乃さんから届いた。
 そこにはここ数日の自身の‟暗躍”についての報告と、風香さんの一連の気持ちの変化について記されていた。
『やめるからようりさんに返してと送られてきたベスト突っ返すついでにねw 「自分で手に入れられるまでの約束で借りたんだから、手に入れてから返しに行きなー これ持ったまま消えたら許さないからねー」って言っといたwww すげースキなんだって、ようりさんのベストとsophiaさんのドレス。で、後ろに転載したけど、さっき風香さんからメッセージが届いたのね。んで電話しよー思ってフレリスト開いたんだけどさ。まあ、なんだ わはは ちょっといいなーって思ったw』
 松乃さんが風香さんに「返しに行きな」と言ったベストは、初対面の時に表向きわたしが風香さんに貸した形になっていたけれど、それは過去にわたしが松乃さんに贈ったもので、本来の所有者は松乃さんだった。
 わたしはといえば運営から配付された30着はすでに配り切り自分に必要な分も足りなくなって、信念に背いて忸怩たる思いで転売ヤーから買い戻していた状況。
 それでも再び転売ヤーを利用する覚悟で手持ちを差し上げようとするわたしの心情を松乃さんはまるでテレパスのように察して、その場で秘密裏に一時返却してくれたものだ。
 結局風香さんは自力で手に入れるという意志を堅持し、借りるということで受け取ったわけだけれど、その設定を徹底しているのはさすが松乃さん。
 松乃さんはメッセージの中でこうも言っていた。
『ようりさんは止められないって言ってたけど、風香さんを止めたのはようりさんの日記だからねー』
 MM引退を思い止まらせたのがわたしのあのポエムじみた日記かどうかはともかく、風香さんから反応があったのは事実だった。
 あの日、風香さんからメッセージをもらってすこしお話を聞いたんだ。
 私生活で色色あって、MMが現実逃避先であったこと。
 現実と向き合うため一時はMMをやめる決心をしたこと。
 それでもたくさんのフレンドに惜しまれ、すこし心が揺らいだこと……。

 松乃さんのメッセージの末尾には、さっき届いたという風香さんからの‟述懐”が転載されていた。本人から「みんなに伝えて」との申し出があったようだ。
 そこではあの日わたしに語ってくれたことが、より詳細に語られていた。
 プライベートなお話だからここにすべてを書くわけにはいかないけれど、風香さんは恵まれた家庭で両親の期待を一身に、ある楽器奏者としての英才教育されたという。風香さん自身も努力してそれに応えてきたのだそうだ。
 長じてその才能を活かす世界に身を投じるけれど、怪我をきっかけにスランプに陥り、第一線から退くことになる。更に病気でこもりがちになりすっかり精気を失ってしまったということだった。
 そんなときMMと出合い、sophiaさんたちと出会って魅力にとりつかれた。ひさびさに活き活きとできる場所を得て入り浸った。
 ただそれまでの風香さんを知る両親にとって、そんな風香さんの姿は無為そのものに映ったのだろう。両親は風香さんに悲嘆のことばを投げかけたのだった。
 風香さんは傷つきながらも、才能を伸ばすことに必要なすべてを与えてくれた両親のためにもMMを捨てようと決心し、SNSで引退表明をした……。

 そののち、わたしを含め多くのフレンドたちから引退を惜しまれ、心が揺らいだのは本当だろう。
 でも実際に引退を思いとどまらせたのは次のエピソードだ。
 先日、風香さんのフレンドがかねてから告知していた、仲間を招き入れての動画鑑賞会を行ったという。
 その動画というのが、主催者であるフレンドの中の人によるサプライズリサイタルだった。その人は偶然にも風香さんと同じ演奏家だったのだ。
 その人は輝く才能を持った人だった。それを観て「私にもまだできる」とにわかに闘争心に火が着いた風香さんは、半年以上のブランクからの復帰を誓う。
 でもその一方で、MM引退については思い止まった。
 風香さんのこの述懐はこう締めくくられている。
「MMに距離を置きます。それが両親への恩返し。でも引退はしません。すこしだけなら、いいと思います」
‟すこしだけなら……”
 他人はこれを、‟結局やめられず現実から目を背け続けるのだ”というふうに捉えるかもしれない。
 でもそれは違うと思う。
 MMはスランプから逃げた風香さんが行き着いた居場所だ。MMへの拘泥は‟結果”であって‟原因”ではない。そして見たくない現実から目を背け続けるための‟手段”でもある。
 MM引退を表明したときの風香さんには、スランプと闘う勇気はきっとまだなかったはずだ。もちろん、闘わなければ現役復帰は望めないのも自覚していただろう。
 厳しい言い方をすれば、来る日も来る日も部屋に閉じこもりPCにかじりついている姿を見咎めた両親に対して、MM引退を‟生贄”に捧げしばしお茶を濁そうとしただけで、現役復帰どころか社会復帰の具体的なビジョンもなかったに違いない。
 でもフレンドの輝く姿で心に火をつけられた風香さんは、自分がまだ逃げずに現実と闘える気力を残していることに気づいたのだ。
 現実逃避の場だったMMは、現実の中の憩いの場にとどめられる。だからやめる必なんかないのだと。
 風香さんはすでに現役復帰の‟証”であるリサイタルの日を3か月後に定め、準備を始めているという。もちろん、現実世界での話だ。
 6か月以上というブランクをその3か月で埋めなければならないけれど、そこまでに仕上げられるかどうかの見込みすらない状況での決断だった。さすがにその間はMMなどやっている暇はないだろう。
 そしてその‟証”を立てたのち、MM内でも発表会をするという。

 メッセージを読み終えたわたしは、松乃さんが風香さんの述懐メッセを読んだあとにフレンドリストを開いたくだりが気になって、MMを立ち上げフレンドリストを開いてみた。

 フレンドリストの、グレーアウトしている風香さんのアイコンが、ようりのベストを着ていた。

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