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002-monologue

【2018年1月31日】
 ずっとそう思ってきたのに。
 回線切れないのか。
 それにああもうなんなのこれさわがしい。
 花火あがっちゃってるし。
 MMOを遊んだことも、サ終に立ち会うのも初めてのこと。イベント終了と同時にプツンと切断、暗転した画面に映ったわたしのほほになみだツー「あれ、わたし泣いてるの?」みたいな準備は整えておいたのだけどそうではないのね。
 ひとり感傷の中で切断という残酷な仕打ちに打ちひしがれる覚悟が肩透かし。グランドフィナーレの会場が思い出の場所の至近てだけでも最悪だってのに。
 きれいに終わりたかったな……
 告知で品川シーサイドが会場と知ったときはまあまあ嫌な予感はしてたけれど。到着したときすでにちらほら人影はあったけどさ。
 切断延長なら延長で、みんなもっと他に行くとこあるでしょうよ。ココイコパークとか冒険者の砦とか。季節じゃないけどお台場海水浴場とか、古参なら渋谷ハチ公前とかさ。
 ただいま22時20分。
 さっきまで終了イベントが開催されていた品川シーサイド駅前の会場近く、“思い出”のビルの屋上に、ユーザーたちが仲間と名残りを惜しもうとぞくぞくと上ってくる。わたしの視界を埋め尽くす。ぽこぽこぽこぽこポップアップするフキダシも、処理落ちして等身大パネルみたいになったキャラもうっとうしい。
 わかるよ。でもわかる。気持ちはすごくよくわかる。
 最後の時を仲間と一緒に過ごしたいよね。
 運営の全体チャットによれば22時でサービスは終了をしたけれど、回線の切断は90分延長したみたい。まあ、粋な計らいではある。
 いま夜空をカラフルに染め上げている花火は終了まで打ち上げ続けられるっぽいから、別れを惜しむユーザーはそれを観ながら時間切れまでフレンドとの最後の歓談を楽しもうということなのだと思う。
 あと1時間とすこし。運営がくれた、そのこれまでの10年に比べたら瞬きに等しいわずかな時間も、ユーザーにとっては移動時間すら惜しい貴重な良い時間になるだろう。
 でもわたしは……
 わたしは変わり者かもしれないけれど、切断までの時間をひとり感傷に浸りたかったのだ。
 公式SNSの日記にも「MM最期の日は、誰にも会わずに独りで世界の終焉を看取る」と宣言した。
 わたしのかけがえのないお友達“水無月さん”にも、あえて最後のときは会わないと決めて独りになることを選んだのに。
 わたしはミュートにしている携帯電話の着信履歴を開いてみた。水無月さんからの着信はない。わたしはしばらく彼女の名を見つめ、その名が胸の内に呼び起こす感覚を噛みしめた。
 たのしくて、うれしくて、やさしくて。
 あたたかくて……せつない。
 それにしても騒がしくてかなわない。うっとうしい。場所を移そうかな。意地でも回線切断の瞬間を独りで見てやるんだ。
 でも、もっとも愛着のある場所、一番の思い出が詰まった場所、あそこには……自宅には絶対に帰らない。
 あそこで迎える最期はつらすぎる。
 たぶん、思い出に押しつぶされてしまう。
 さて、どこにいこう。
 もう、どこにいこうと……
 平静で迎えようと思っていたけど、ダメだ。すこしナーバス。
 この心のささくれは、やっぱりきっと、どこかでこの世の終わりを受け入れられていないんだろうな。

 もともと多くはなかったフレンドも、数人を残してだれもログインしなくなってからもう1年以上。彼女たちのほとんどはサービス終了の告知のあとも戻ってくることはなかった。
 いまも、彼女たちのアイコンはグレーアウトでフレンドリストに並び、彼女たちがオフラインであることを教えてくれている。
 世界の終わりを告知されてから数ヶ月間、誰に読ませるつもりもなく公式SNSに非公開設定で綴ってきた思い出ばなし、あるいは独白も、サービス終了とともに誰の目にも触れないまま消滅するだろう。
 でも、それでいい。当時のフレンドをきっと傷つけてしまうような内容もある。
 けれど、ここに記したのはわたしがこの10年で体験したメタバースでの群像物語であり、わたし自身想像もしていなかった“わたし”の発見の物語でもある。
 その物語をほんのひととき世界に刻み、世界とともに消滅するにまかせて、わたしはこの大好きだった世界と決別するのだ。

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