世にも効率の悪い洋品店
時は令和
5G、大容量·高速通信は当たり前
やりとりはデータで
自動化·効率化
欲しい情報のほとんどは、手の中のスマホから取り出せる便利な時代
そんな時代
とある場所に、ひっそりこっそりとたたずむ
世にも効率の悪い洋品店のオハナシです。
その名は
【マレタケ荘洋品店】
改めて自己紹介させてください☺️
子供の頃から作ること、
布と糸が好きな店主のワタクシ ’’ミカ’’が
チクチクやアミアミで作る一点物がお品物です。
クロスステッチでイニシャルを入れます。
少々お時間は頂きますが
オーダーメイドもお受けできます。(2021.8月現在は休止中)
古ぼけたものと小さなものが大好きです。
ガチャガチャとツマミを左右に回してテレビのチャンネルを合わせて、なんなら映りが悪けりゃ空手チョップで復活だせ!
そんな時代に生まれました。笑
昭和レトロや、1880年代、赤毛のアンの時代のアンティークにも目がないです😍
アンティークの服のイニシャル刺繍をみて感じた温もり。
誰かが誰かのために作るお洋服や小物の暖かさ。まだまだ未熟だけどアンティークの物から受け取った優しさも作品にできたら。そんな気持ちでイニシャルステッチをします。そしてずっと一緒、あなただけの1着になりますように。。と、手を動かすのです。
心惹かれたイニシャルステッチのお話はまたの機会に···
小さな頃から、外で遊ぶより紙でお洋服を作ったり、絵を書いたり、本読むことが好きでした。
手先の器用な母が、朝起きるまでにスカートを作ってくれていたり。帽子を編んでくれたり。
私のハンドメイドとの出会いでした。
中学生の頃には見よう見まねで「ジュニアスタイル」という、当時囲み製図やパターンが掲載されている雑誌をみて服を作るようになりました。
ジュニアスタイル、知ってる方いらっしゃるかな?☺️1976年創刊、1980年代のティーン向け雑誌で私はこのジュニアスタイルが大好きでした。型紙も載っていてハンドメイド色の強い本でもありました。ジュニアスタイルはその後ファッション色を濃くしてジュニーになりましたがその後休刊に。。オリーブ、ジュニー、mc Sisterは当時とても楽しみにみていたファッション誌です☺️
高校は被服のコースがある科に進みました。もちろん楽しくて大好きでその後大学か専門学校に進む!そう思ってたのですが、ここで挫折、、(これもまた別の機会にお話させてください😌)
半分やさぐれた気持ちで百貨店で働き始めます。婦人服のブラウス売り場から新店舗開店チームに入れられヤングカジュアル担当に。
ヤングカジュアルって響きがちょっとアレですが、時はバブル。
DCブランド全盛期(分からない人ググってね笑)
主にデザイナーの名前を背負っていないキャラクターズブランドの担当で、何百万っていう予算預けられて仕入れもさせてもらいました。今考えるとオソロシイ、、、でも、勢いのあった時代のアパレルメーカーの展示会や仕入れの経験はとても貴重なものでした。
20代の10年間は、看板屋のバイトを数年はさんでほとんどアパレルの仕事をしていて自分で作る事はしませんでした。
誰かに似合う服を見つける、それはとても楽しい仕事でした。瞬時に持ち物、着てる服をみて好みを探って肌の色、髪の色全体の雰囲気から店内にあるもので似合うもの、そしてお話をしながら、今欲しいものを聞いてオススメする。売り売り感を出しても嫌がられるし、かと言ってオススメしないと商品はみてもらえない、、そのバランス、接客販売経験のある方なら分かってもらえるかしら~
私は今でも、この頃の習慣が抜けなくて、出会う人の持ち物、好きなブランド、雰囲気を観察してしまいます(笑)
ひたすらファッションと雑貨が好き。そんな20代の10年でした。
結婚して子供が生まれ、子供達の服を作るのが楽しくてまたハンドメイド熱が再燃し、そして引っ越した先に縫製工場がありました。
仕事がキツい、という噂も聞いていて踏ん切りがつかなかったのですがある時、門を叩きます。
何でもいいから使ってください!←ざっくり
【まとめ】という、ミシンではできない手仕事なら仕事あるんだけど。。とのお返事でその仕事をさせてもらう事に。
ボタン付けやホックつけ、まつり縫いなど。。ひとつ5円とか10円の世界です。量産品だから10や20は少ないほう。100超えるロットもありました。今でもボタン付け100個くらいなら鼻歌まじりで付けますよ~🎶
あなたが着てるお洋服も、そういう工程を経てお手元に届いているんですよ☺️フフフ
その後ヌルッと工場内での仕事に変わって、職人の先輩達の技を盗んだり、質問して教えてもらったり、沢山の技術と、職業として縫うことを学びました。
縫製や裁断に使う機械とか、見てるだけでも楽しかったです。でも、聞いていた通りホントに仕事はキツかった😅
私は今でもこの縫製工場で働けた事はとても幸せな事だとおもっています☺️
子育てしながら、縫製工場で働きながら、マレタケ荘としてのもの作りを続けていました。
至って効率の悪い手仕事です。
布の織り目に沿って刺繍をします。
思った形を作ってみたら全然ちがうやん!とか
編んで編んでほどいてほどいて、チリチリのラーメンのような毛糸に途方にくれたり(業界では製麺作業といったりします·爆)
陶芸家が駄作のツボをガシャーーーン!と割るように、ダメだダメだ!と全部やり直したりします。
でも、目の前にいるのはいつもたった1人の人です。
オーダーのように決まっている人の時もありますし、まだ見ぬあなたへ、そんな時もあります。
不思議なんですけどね、
ちゃーんと、「その人」の所に届くんです。
だから、きっとどんな物も決まっているのかな、なんて思っています。
私はどこかの町の端っこで
今日もチクチクアミアミと
何かを作っています。
世にも効率の悪い手仕事を愛してるから。
そして
そんな手仕事を愛する仲間も沢山いるから。
気が向いたら
ペンキのハゲかけた茶色のドアをコンコン✩.*˚とノックしてみてください
今来ても、きっと10年後に来ても
変わらないマレタケ荘洋品店がそこにあります。
相変わらずの古ぼけたもの達と一緒にね。
世にも効率の悪い洋品店は
世にもチクチクアミアミの手仕事が大好きな洋品店でもあるのです