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海街ライフとニューヨーク
「思いもよらない今の自分」の連続でわたしの毎日はつながっている。
そんな感覚で日々を生きている。
#想像していなかった未来 の投稿コンテストがあると知り、タイトルにピンときたので2024年を振り返る意味も込めてここに記そうと思う。
想像していた未来と現れた違和感
ミュージカル俳優としての未来
わたしは幼い頃から舞台に立ってきて、当然ながら将来これを生業にすると思ってきた。日本でミュージカル俳優として活動するには、事務所に入ってコツコツ経験を積むという主流ルートがある。海外を目指すなら大金叩いて演劇学校等に留学→オーディション漬けの日々→チャンスを掴むまで。
どちらもしっくりこなくてどうしたか、というのを綴ったnoteはこちら↓
人気商売と閉鎖された業界に対する疑問
無理やり簡単にまとめると、媚を売ることのできない自分との相性があんまり良くない業界であることに気づいてしまった。あと、生活するにはしんどい職業だし、セクハラパワハラが充満しすぎているし…。それでもどうやって俳優を続けてきたかを綴ったnoteもある。これは自分のnote史上最初(で最後?)のプチバズり記事となった。共感する人がたくさんいたことが分かって嬉しかった。
ブロードウェイへの儚い憧れ
大学生の時に半年ほどNYに留学していたこともあり、わたしにとってNYは特別な場所である。あの街はクレイジーだけど魅力がたくさん詰まっている。たまにあのエネルギーを浴びないと忘れてしまうから、コロナ前までは1年に1回、難しくても2年に1回は行くぞ!と目標にしていたほど。
ブロードウェイに限らず、演劇が浸透している文化圏では、作品の質が比較的高く、「本場」と呼ばれ続ける理由が見れば分かる。かつて憧れていたブロードウェイ俳優という夢は次第に解像度が低くなっていき、今は消えてしまったが、「憧れた」という事実と経験が今のわたしを作ったことは間違いない。だから今でもNYが大好きだし、大切な人たちをいつか連れていきたいという野望もある。
パートナーとの関係、新しい世界
家族以外の人間と共同生活をする
いつの時点で想像していなかった未来なのかを明確にする必要はないかもしれないが、大学を卒業して今のパートナーに出会うまで、わたしは正直将来独身貴族として悠々自適に暮らすと思っていた。(笑)しかし、パートナーと知り合い、ベストフレンドになり、今年パートナーシップ成立から6年が経った!自分たちでも驚いている。
パートナーと2年前に一緒に暮らすことになり、実家暮らし27年に幕を閉じた。冷静に考えると他人と2人で暮らしているのっておもろいな。色も形も性質も違うパーツが突然同じ箱に入れられたような。
食事、掃除、生活のリズム、大切にしたいこと、お互いに寄り添ってチューニングしていく工程は面白くもあり、めんどくさくもあったが、2年経とうとしている今、二人暮らしは自然なものとなっている。家にパートナーがいることが当たり前で、その当たり前の安心感をしっかりと享受している。
知らないことだらけの世界
一緒に暮らすようになり、毎日たくさん会話をするので、必然的に深い話が多くなる。「そんなこと話すの?自分はパートナーとどうでもいい話しかしないよ。」と珍しがられることもあるが、個人的にはどうでもいい話しかできない相手はどうでもいい人なのでは?とちょっと過激な意見を持ってしまう。(笑)というのも、わたしたちは社会問題はもちろんだが、結婚とは何か、恋愛とは、友情とは、家族とは、自分の苦手なこと、トラウマ、ストレス、セックス、健康などとにかくなんでも話す。話すぎてパートナーの一部になりかけていると感じることすらある。(笑)
こういう話をしていて一番面白いのは、自分では考えたこともないような思想や思考に出会うことだ。30年弱、見てきた世界、出会ってきた人、培ってきた経験と知識があまりにも違いすぎてめちゃくちゃ面白い。一人と向き合ってこれなんだから、世界って想像できないくらい広くて深いんだってことを思い知る。
海街ライフでの出会い
子どものように自由な大人たち
そんなパートナーと住んでいるのは海と山に囲まれた街。ここに引っ越したきっかけは、お互いの人生が停滞していた時に「好きなところに移動しよう!」という意見が一致したから。海の近くで暮らしてみたかったのでここを選んだ。住んでいる人で選んだわけではない。しかし、蓋を開けたら素敵な人間がたくさんいて、彼らに出会うきっかけも自然と訪れた。多くの人が、この土地に惹かれて住んでいるという共通項があるため、波長が似ている。とっても魅力的な人だな〜と思っておしゃべりをして、家に帰ってから「あれ?あの人は何してるんだろう?」と仕事や職業について話したわけじゃなかったことを思い出すこともある。そういえば子どもの頃ってそうだった。名前を言って、一緒に遊ぶ。好きなものをシェアする。同じ釜の飯を食う。それだけ!とってもシンプルで心地いい!そういう人たちと出会うことが増えた。
自分の近くに平和と平穏をつくっていく
そして自分の中に静けさというか、穏やかさみたいなものが築かれていく感覚とも仲良くなってきた。もやもやしたらチャリで海まで行って、ぼーっと遠くの山や波を眺める。近くのカフェに言ってオーナーさんと挨拶だけ交わして、美味しいコーヒーを飲みながら日記を書く。食べたいものを時間をかけて作る。自分を癒す術を少しずつ、着実に手に入れている。
ムラはあれどもやらなきゃいけないタスクが山積みのこともしばしば。海街ライフに流れる時間はまったりだから、自給自足でエンジンをかけて頑張るときは頑張る。踏ん張る時は踏ん張る。終わったらしっかりご褒美を与える!
原点回帰、ニューヨーク
細くてもずっと紡がれていた糸
それでもやっぱり舞台という媒体自体は好きで、観劇したり、SNSで新作を追っかけたりしながら、これからの自分と舞台の関わり方を探っている。
今年1月に縁あって文化庁の取り組みでNYに派遣され、気候危機対策とDEIの観点からブロードウェイ業界を視察してきた。
久しぶりに訪れたNYは、コロナを経て少し寂しくはなったものの、あのクレイジーさと干渉しなさと忙しなさは健在でホッとした。久しぶりに見たブロードウェイミュージカル(『SIX』)はやっぱり格段と質が高く、心の奥まで揺さぶられ、ホテルに帰った途端涙が止まらなくなった。
やっぱり大好きで大切な場所。自分がなぜミュージカルに魅了されたのかを思い出させてくれる場所。そんな原点に想像もしなかった形で戻ってこれた。
想像していなかった形で帰ってきたニューヨーク
1月のご縁がつながり、11月にもまたNYに行く機会を頂いた。夏頃にオファーを頂いたがこれまたびっくり。まさか今年中にもう一度行くことになるとは!人生何があるかわからない。けど一つ言えるのは、いつでもできる限りプレーンな状態の自分でいることで、接している人たちと嘘偽りのない関係が築けるということ。その関係性の中で、「この人面白いな。何か一緒にやりたいな。」とお互いが思えたらそれは健全な関係だし、次につながる。気付かぬうちに。長いおつきあいになったりもする。まだこれからどうなるは誰もわからないけど、小さい頃から信じてきた「ありのままでいる」ことは、こういう形で自分にも相手にも還元しているのかもしれない。
「想像」を「制限」にしない
想像力を養うということ
ミュージカル俳優の道まっしぐらだった時、もちろんワクワクすることはたくさんあった。例えるなら目の前に山があって、まっすぐ切り開かれた傾斜のある道をコツコツ登っていく感じ。でも切り開かれている=正しいとか、あなたに最適ってわけでもない。もしかしたら頂上なんてないかもしれないし、あってもたどり着く前に雪崩が起きるかもしれない。未来なんて未だ来ていないから誰にもわからない。
その道の途中で、新たな人と出会い、モノの見方に出会い、誰も歩いたことのない道を切り開いていくことになる。チクチクした木々をかき分けることもあれば、ぬかるみに足を突っ込むこともある。ふと空を見上げると心が落ち着く青空が広がっていることもある。
新たな道を進もうと決めるとき、新たな想像力が試される。「海の近くに住む」を想像する時、「都心から離れたら不便だ」という制限が最初は想像力を阻んでしまうかもしれないけど、一旦その制限を手放して、海の近くに住む自分を想像する。どんな気持ちになるんだろう?どんな毎日を味わうんだろう?想像していると心がウキウキすることがある。感じたことのないときめきが現れたりもする。
想像から行動へ
そしたらもう行動に移してみるしかない!やってみてダメならまた別の道を想像して、行動すればいい。その繰り返しだ。
#想像していなかった未来 が訪れた時、振り返ってみると、具体的ではなくても「こうだったらいいな〜」というふわっとした想像はあったのかもしれないと思える。「またNYに行けたらな〜」という願望に聞こえるこれは、NYにいる時のハッピーな自分を想像させ、その想像は自分の脳内に実はいつも漂っている。それが何かのタイミングで誰かの想像と重なってくっきりとした形になることがある。
海街ライフも、NYも、ずっと自分が小さく想像していた姿だったのかもしれない。形になって初めて現実に起きたと理解するけれど、想像した時すでに、それは現実になり始めているのかもね。
こうして想像の力強さを語っていたら、いつかこうなったらいいな、あれができたらいいな、は今は現実味がなくてもたくさん自由に想像して、ワクワクしていたいと改めて思えた。
そしてわたしの中にある小さな想像という雲たちが、これからどんな雨を降らせ、虹をかけてくれるのか、とっても楽しみだ!