【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた 4
この風情ある城下町の一角にわたしたち家族が越してきたのは2010年、この話の中では8年前になる。わたし自身は東京の下町育ち、パートナーは和歌山の出身だ。東と西の人間が偶然に出会い、縁あって奈良で暮らし始めて、やがて娘が生まれた。娘が小学生の低学年までは市内の団地に住んでいたのだが、娘の新しい自転車を買いに出かけた休日に、たまたま売りに出ていた中古リフォーム物件(戸建て)を見つけて見学し、なんと即決してしまったのだった。自転車を買いに行って、買ったのは家だった。猫の額ほどの庭もあって、「これで犬が飼える」と娘は喜んだ。
城下町、というのはじつは人の流入が激しい。わが家の敷地は江戸時代の町割りのままで、1798(寛政10)年には「今中歳久」さんという人が住んでいたという「町割図」が残っている。別の年代不詳の「町割図」では「山城屋利兵衛」さんの居宅とも描かれている。しかし「今中」さんも「山城屋」さんもいまは見当たらない。町内には古い三軒長屋もいくつか残っていて、そこに住んでいるのは江戸時代の「今中」さんや「山城屋」さんと同じように、(戦後に)よそから流れて来た人たちだ。いまは一人暮らしのお年寄りも多い。
そんなわけで縁も所縁もない町に越してきたわたしたちに、近所の人たちは親身で、とても親切にしてくれた。当時は(自由に外を出歩ける)お年寄りも多く、夏の地蔵盆の際には路地に設置したテントと提灯の下で、十人以上のお婆さんたちが御詠歌を唱え、わたしはそれを聴くのが好きだった。そのあとで催された有志の路上宴会に来たばかりのわたしたちも招かれ、まだ小学生の娘は後に副会長になるSさんに水だと騙されて焼酎を飲まされて酔っぱらった。
みなでバスで奈良健康ランドへ行って、温水プールで遊び食事をしたのもこの頃だ。いま思えばそれが町内会の最後の親睦会だった。向かいの長屋のYさん(お婆さん)が、子どもの登下校の時間には家の前に立って子どもたち一人びとりに声をかけているのも、下町で育ったわたしには懐かしい風景だった。
その頃、十数年にわたって自治会長をしていたのは、冒頭でも書いたようにTさんだった。すでに神話時代のことだが古事記によれば当時、わが家の隣家のОさんが「二年ごとに各班(5班)から順番に役員を出す」という会則をまとめてTさんが選出されたのだが、二年後にだれもなり手が決まらず、Tさんはそのままずるずると自治会長をやらされ続けてきたわけだ。そのTさんが急に入院してしまった(その後、残念ながら亡くなってしまった)。それがわたしたち家族がこの町に越してきて8年目に起こった政変だ。
さて、話をふたたび2018年の春にもどそう。前回書いた会計「修正案」以外に現在、着々と進行形のものを以下に羅列する。
1.ぼろぼろで画鋲すらまともに刺さなくなっている町内計3ヶ所の掲示板(木製)を撤去。町の中央の一ヶ所に集約して、市の補助金も活用して足付き、摺りガラス戸付き防水、マグネット使用の掲示板を新設する。設置予定場所であるガレージ壁面の所有者(会計のAさん)にはすでに了解をもらい、足がかかってくる溝の部分が市道であるため現在、市に許可を申請中。
2.町内の7ヶ所に設置されている消火器を点検したところ、すべて10年前のもので使用期限を超えていたことが判明。これも市の補助金を活用し、4ケ所に減らして新たに設置し直す。つれあいがネットで安い業者を探して見積もりを取り、これから市へ補助金申請を行なう予定。
3. 自治会長名義の印鑑で駅前の信用金庫につくっていた町会費の口座を、自治会名義の印鑑をあらたに地元の判子屋さん(つれあいの職場の同僚の家(^^) に注文・作成し、その印鑑で町から歩いてすぐの近所にある郵便局に移す。自治会名義の口座でも代表者の住所・名前での登録が必要らしく、これはたんなる形だけなのでわたしの名前にした。また町内会の創設日が記載された規約が必要と言われて、従来の会則に創設日を追記・「改竄」した。平日は休めないわたしに代わって副会長のSさんに委任状を持っていってもらい、週明けに提出予定。
4.徳川以前の時代から、ここ城下町では独自の自治の仕組みがあり、また「魚町」「材木町」「雑穀町」等の町の名称に由来した歴史を有している。数年前にそれぞれの町内にイラレで作成したような城下町マップと共に町の由来を説明した観光客用の町名板が市によって設置されたのだが、以前からわが町内にはそれがないのが気になっていた。市の都市計画課で聞くと当時、設置(家の壁面などに接着剤などで取り付け)を許可してくれる家が見つからなかったのではないかとのこと。2軒ほどのお宅で設置してくれてもいいという話があるので、都市計画課と現場確認も含めて調整中。
5.表札の横や玄関のドアノブなどにぶら下げる「自治会長」「班長」等のプラスチック製のプレート。磨耗して文字が読みにくくなってきたりしているので、「もう要らないでしょ。みんな分かってるし。ぶら下げてるとみっともないし」ということで使用を廃止・破棄した。
6. 5班で構成されていた町内の、とくに役回りのバランスが空家や高齢化などでいびつになってきているため、新たに1班A、1班B,2班、3班の3班制に組み替えた。会長、副会長、会計の三役は今後、この1~3班を順番でめぐり、班長については回覧板や集金作業、地蔵盆等行事の担当などもあるのでA・Bを加えた4人制にした。(よって先日の第1回役員会で集まって頂いた5人の新任班長さんのうちの1名は、わずか半月だけの短期任務でお役御免となった)
7.かなりくたびれていた回覧板のバインダーを新品と交換した。つれあいが役所へ行ったら、あたらしいものを呉れた。
こまかいことはまだあるような気がするが、まあ、だいたいこんな感じかな。さあ、これからいろいろと「戦い」が始まる。乞うご期待。
以下の内容で、連載を予定しています。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう