マナスルのブラスストーブを思念する
治療中の患者が黄金虫の夢の話をしているときに窓からまさにその黄金虫が入ってきたというユングの話は有名でかれはそれを共時(synchronicity)と呼んだわけだけれど、そのような奇妙な偶然の一致というのはわたしたちの身近に案外とあるもので、じつはもっとあたりまえにあるのをわたしたちが気づかないだけなのかも知れないと、ときに思ったりする。古代人が交わしていた夢の通信手段をわたしたちが失って久しい。
マナスルのブラスストーブ(加圧式液体燃料ストーブ)を奇妙な縁からある人より頂いて試しにあれこれといじっている頃に、積読のまましばらく置いていた本の続きをまた読み始めたら次の章が「火を持ち歩くということ」と題したブラスストーブがメインの話だった(服部文祥「百年前の山を旅する」)。著者は冬の南アル プスの山小屋で棄てられていたブラスストーブを持ち帰ったのが出会いだったが、わたしは思いがけずじぶんの前に出現したこの真鍮の光り輝く聖食器のようなストーブの歴史をはからずもその本で知ることとなった。
ブラスストーブがヨーロッパで発明されたのは1892年(明治25年)、日清戦争が始まる2年前のこと。その翌年にナンセンがこのブラスストーブを携えて極北探検に向かった。以降、アムンセン(「南極点制服」)、スコット(「世界最悪の旅」)、シャクルトン(「エンデュアランス号漂流記」)といった名だたる探検家の記録の片隅にこのブラスストーブは登場する。
ブラスストーブ以前に「持ち歩く」ことがで きた火は植物油や鯨油(前出のシャクルトンたちはアザラシの脂も利用した)、アルコール・ストーブなどがあったが、いずれも灯心によって燃料を吸い上げて燃やす構造で、熱効率が悪く不完全燃焼により盛大に煤が発生した。
ブラスストーブが革新的だったのは「バーナーヘッドを加熱し、タンクに空気を送り込んで圧力をかけることで、気化した灯油を勢いよく噴出させて燃焼させるシステム」で、「エネルギー効率も良く、限りなく完全燃焼に近い状態で、強い炎を出すことができた」。しかも圧力と予熱というシンプルな構造で成り立っているため、現在の主流のストーブやコンロのようなゴムパッキンや圧力を制御する針や針穴といった精密部品がなく、本体に穴でも開かない限り「ここが壊れたらおしまいというボトルネックがない」。
著者の服部は「サルベージ」したそのブラスストーブを鹿島槍ヶ岳の北壁登攀に携行してじっさいに火を燃やしながら人間と道具について考えをめぐらすが、その章の中でわたしがとりわけて興味深かったの は「シロクマ、アザラシの脂を燃料に、肉を食料にしながら探検行や脱出行をつづける」かつての探検家たちが目の当たりにしただろう体験に思いを馳せて「殺す側と殺される側」について考え、記した部分だ。
―――週末、飼い犬とブラスストーブを連れて家からほど近い矢田丘陵の山道をのぼった。夕飯の支度があるから昼食を調理して、食後のコーヒーを愉しむだけの低山散歩だ。道からすこしばかり谷間へ引っ込んだやや粘土質の棚地に荷物をおろした。小さな源流もながれている。
組み上げて地面に置いたブラスストーブのヘッドの受け皿部分にアルコールを注いで火をつける。予熱が済んでぶすぶすと火が途切れそうな頃に調整弁を閉めておく。気化した灯油に火が移り、落ち着いた頃にポンプを押して圧力を高めてやる。その間、わたしは炎に目を凝らし、燃焼する音に耳を澄ませ、ポンピングのタイミングを推し量る。やがて炎が落ち着いてきて、その上に鍋をかける。近江の平田町でもらったクズ米、切り刻んで塩・胡椒をしておいた鶏のささみ、人参、白菜、玉葱、出汁の元を少々。
気がつけば、来た頃はどこかよそよそしかった斜面や木立や落ち葉に埋もれた地面などが、まるでじぶんの庭のように親しく感じられる。幾種類かの鳥の声、風が抜けて枝と枝がこすれあう音、かさこそと何かが地面をつつましく移動していく音。そして目には見えないもの、耳に聞こえない音。一方の端にふれたら、他の端がゆらぐような気配。時間。ブラスストーブの清廉な青い炎と気化した灯油が燃焼する心地よい響き。
それらにかこまれてわたしは、じぶんがとりもどしたいいのちについて、とりもどしたい世界について考える。
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