【日記】大阪・島之内教会でアルメニアの音楽を堪能する
大きな国よりも(領土を失って)小さくなってしまった国にむかしから興味があった、そこにはなにかがあるんじゃないかと。
そんなことばからはじまった大阪・心斎橋、島之内教会での「はるかなる アルメニア ~南コーカサス、アララト山のふもとに伝わる、いにしえの旋律」と題したコンサート。
幾世紀にわたって国土を蹂躙され、聖なるアララト山も隣国に奪われ、戦争や迫害によるディアスポラ(離散・移民)により全アルメニア人の6割以上が現在も国外で暮らすという。そんなかれらにとって音楽を含めた文化は「じぶんは何者か どこから来てどこへいくのか」という問いに対するよりどころである。
世界最古級の遺跡や史跡が現存し、西暦301年に世界ではじめてキリスト教を国教としたアルメニアは、それ以前は太陽信仰・自然崇拝の時代が長く、その伝統はいまも多くの儀礼や祝祭に色濃く残っていると、ブルール(アルメニアの縦笛)を奏したきしもとタローさんは解説に書いている。
音楽は人の身体がもっとも躍動する5拍子7拍子でリズムを刻み、小指をつないで踊るひとびとは風にそよぐ丘の草葉のようにひるがえり、地面を踏みしめるステップは大地にエネルギーを送る所作であるという。
円環のなかに存る音楽、そんなことばがふいと浮かんできた。歌われる緑の土地や山々は、かれらにとってうしなわれたものばかりだ。だからこそ、歌は希求し、一見陽気なリズムでも拭い難い悲しみを帯びている。
コンサートの後半に演奏された Erzurumi Shoro のエルズルムも、オスマントルコによる迫害によって失われた古里である。「あなたはわたしの渇きを潤す唯一の清らかな水。緑深き山の尾根、茨とアザミに囲まれたエルズルムにつづく道。あなたと共に歩く夢をわたしは見た」
清らかで冷たい豊かな水は、泉のいちばん深いところからあふれだすことをかれらは知っている。
プログラムの最後の曲 Tamzara では幾人かのオーディエンスが、アルメニアでじっさいに踊りを習ってきたという若いカップルと共に輪になって踊りを体験したが、その円環は閉じることはなく、次第に中心へむかって渦を巻いていった。
じっさいにアルメニアでは踊りの輪は、いつでも途中から人が加われるように両端は切れて渦を巻くのだという。アルメニアの音楽はまさにそのような円環だ。にんげんと大地、現在と過去と未来が、草木や風や水や森などによってつながり、渦を巻くようにまわっている。わたしにはその円環は、どこかなつかしく、狂おしく、心地よい。
小さくなってしまった国とは、いわば敗者の国である。わたしたちの国でいえばアイヌや沖縄の人々かも知れない。小さくなってしまった国には傲慢なわたしたちが奪い、捨て去ってしまった息遣いがまだ残っている。
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