本物のアートの条件とは。アートは人間にとって必要か。
こんにちは。いつもありがとうございます。
『アート思考』という本を読み進めながら、
・自分がアートとどう関わってきて、今後どう関わっていきたいのか
・アートは不確実な時代の人間にとってどんな価値があるのか
を考えています。
セバスチャン・サルガド作品との出逢い
アートとの関わりは幼い頃にさかのぼりますが、初めて明確に「問い」を持ってみるようになったのは、セバスチャン・サルガドの写真展に出逢ったときでした。
難民たちのあまりに過酷な現実を描いた写真作品の数々。
その重いテーマにも関わらず、ほの暗いギャラリーから私の眼と心に入ってきたのは「光」でした。祈りが込められた絵画のような作品。
究極の「生」の厳しさ、哀しさ、強さ、美しさが、強い光を放って心に差し込んできました。
H.C.ブレッソン作品との出逢い
次に出逢ったのがH.C.ブレッソン。
サルガドとは対照的に、街の人々の生き生きとした姿や、芸術家の素顔をなんとも楽しく描いている。ギャラリーを何度も行き来しながら、いろんな人々と出逢ったような錯覚に陥りました。
余談ですが、私の誕生日がブレッソンと同じであることを知り、勝手に運命を感じております(笑)。
杉本博司作品との出逢い
その後、ジャンルに関わらず多様なアートに触れるようになりました。
杉本博司氏の代表的な作品である、古い映画館を撮影した作品。スクリーンだけが真っ白になっている。考えてみればそうなのですが、それが意味することの重みに立ちすくみました。
シャッターを持たない人間の眼は必然的に長時間露光となる。母体から生れ落ちて、はじめて眼を開いた時に露光は始まり、臨終の床で眼を閉じるまでが、人間の眼の1回の露光時間である。網膜上に倒立しながら一生を通じて映し出される虚ろな像をたよりに、人間は世界と自分との距離を測り続けるのだろう。(『苔のむすまで』杉本博司)
まだまだ好きなフォトグラファー、アーティストは挙げきれません。今日はこのくらいにして本題に戻ります。
本物のアートの条件と価値
本『アート思考』では、本物のアートの条件として、杉本博司氏の見解を紹介しています。
杉本はアートを見る上で、「視覚的にある強いものが存在し、その中に思考的な要素が重層的に入っている」ということが大事だと語ったそうです。(中略)単純にものと意味が直結しているのではなく、いくつにも解釈できる、様々な意味内容のレイヤーがあるということが、いい作品といわれています。(『アート思考』)
この本は主に現代アートについて述べたものですが、現代アートが第一次世界大戦のさなかにうまれ、不確実性が高まるなかでさまざまな形で広がってていったのは、それを表現せずにはいられない人間の強い欲求ゆえだったのでしょう。
また、価値観も環境も激変し多様化すれば、自分が存在する意味や思考などを反映し、必然的に重層的な意味合いをもつ表現となるでしょう。
それを求めるのは、表現者側、鑑賞者側のいずれにおいても同じはずです。
いま、世界が新たな試練に直面しているなかでアートの存続が難しくなっている事例も多く、心が痛みます。
しかし、そうしたなかでこそ、より強くアートが求められると思うのです。
私自身はフォトグラファーとしてはほんの駆け出しですが、このような状況下だからこそ、人間を深く探り、不安を力に変えて、形にしてみたいと願うこの頃なのです。
この本、多様な視点が提示されており考える材料が豊富なので、とても興味深いです。今後、さらに掘り下げて、あるいは別の視点から書いてみるかもしれません。
トップ画面の写真は『塩田千春展:魂がふるえる』(森美術館、2019.6.20(木)~ 10.27(日))にて撮影したものです。
宜しければみなさんのアート体験、アート観なども聞かせてくださいね😊
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