Marcy's movie garage『ミッドサマー』と異文化理解
こんにちは。ゆとり世代の映画レビュー、Marcy's movie garageです。
今回は『ミッドサマー』と、それを見た感想なり思ったことをつらつらと。毎回恒例、ネタバレ要素を含むのでご注意を。
「怖い=暗い、黒」からの脱却
スウェーデンのホルガ村で行われる夏至祭を題材としたホラー作品。
ホラー作品というと、大抵は幽霊もので、暗く澱んだストーリー、あるいはタッチで描かれることが多いのだが、これはその逆を行っている。『明るいことが、おそろしい』というこの映画のコピー通り、白夜の中で繰り広げられるおぞましい儀式が印象深かった。
ストーリーの雛形は主人公が異世界に訪れ、そこでのいざこざに巻き込まれるといういわば物語の標準型で、そこに手間はない。日常から非日常への潜入なんてらよくある話だし、白夜がこの作品での非日常の象徴なのだろう。
別の狂気は我にあり
死を新たな旅立ちと見なすホルガ村の文化、時折見られるグロテスクなシーン、それに疑問のひとつを持たずに淡々と生活や儀式をこなしていく村民たち。
ついつい「ホルガ村怖すぎだろ…」と感じた。
しかし、そう思うことも狂気であり、自分の中(大凡の人の中)にそれがあることを思い知らされた。
ホルガ村の狂気を狂気と定義づけてしまうことも一種の狂気なのかもしれない、ということだ。
ホルガ村の儀式・伝統を恐ろしい、おぞましいと感じることも狂気で野蛮だということだ。
多様性を叫ぶ前に足元を見ろ
自分とは違う世界観、文化を持った者を恐ろしいと思うことはよくある話。
殊に、異文化理解や多様性が叫ばれている現在ですら、その現象は多々ある。
例えば、ある文化圏では女性の人権が全くと言っていいほど守られていない。ある民族ではバンジージャンプをしないと大人として認められない。遺体を鳥に食べさせる葬儀の方法が存在する。それらの話を聞くと、その文化のなかで生きる人への驚きや被害にあっている立場への哀れみを感じざるを得なくなる。
怒りや悲しみ、同情を織り交ぜつつ「ありえない!」と平気で口にする。
そして、日本の文化も例外なく、理解できないと思われている場合がある。
生魚を食べるなんて、と思う海外の人々は少なくない。捕鯨は海外から恐ろしいことだと思われている。
海外の文化にはありえないなどと思うくせに自分のところになると疑問を持つことは少ない。
こうした国や文化の話以外でも性的志向や趣味においても全く理解できないものが沢山ある。
論点の違いはあれど、ミッドサマーに対するおぞましさも似たようなもの由来なのだろう。ホルガ村の住人はなんの疑問もなく生贄を差し出しているし、それを光栄なことだと考えている。ホルガ村のこの慣習は住民にとっては「当然」のものであり、僕らからすれば「狂気」なのだ。
多様性を認めあおうとする姿勢ばかりが叫ばれるが、ふとした瞬間に多様性を認められず、それを狂気と定義づけてしまう。狂気は相対的なものということを改めて実感した。
サポートありがとうございます。未熟者ですが、日々精進して色々な経験を積んでそれを記事に還元してまいります。