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「仮面が顔か、顔が仮面か」 〜伝説の噺家から学ぶ心の在り方〜

 自律神経失調症を患ってから、あっという間に1年が経過した。
 「歳を重ねると時間の経過が早く感じる」という、いわゆるジャネーの法則に反するように長く辛い一年間だった。

 3月、就寝前に体調に異変を来し、原因が分からぬまま6月に心療内科を受診、そこで自律神経の乱れと診断された。
 最初は依存度の低い抗不安薬を処方されていたが、「結局は自分で治さないといけない」と思い、数ヶ月で断薬した。

 そこからは休日に近所のスーパー銭湯に行ったり、一人でカラオケに行くなどしてストレス発散を図っているが、やはり一度染み付いてしまった汚れはなかなか落ちない。以前よりはるかに頻度は下がったものの、ベッドに入ると動悸や不安に襲われることがまだ月に何度かある。それでも一年前から比べれば自分を褒めてあげたいくらいの改善だと思ってはいるが。

 自律神経のバランスを乱してからの弊害は、不眠や動悸だけではなかった。
 それは「健康への不安」。
 例えば、空腹時や満腹時に胃や胸が痛む、という経験は誰しもあると思う。のたうち回る様な痛みでは決してないものの、少し「キリッ」「ピリッ」と胸やお腹が痛むことは生きていれば経験することだ。

 自分の場合、そういった内臓の痛みに過度に敏感になってしまった。
 体のどこかが少し痛むと、「自分は何か内臓の病気なのではないか」「もう取り返しが付かないのでは」と、思いたくなくても思ってしまう事が非常に多くなってしまった。

 実はこの思い込み、「病気不安症(または心気症)」という、れっきとした障害のひとつであり、自律神経失調症と併発しやすいとのことで、内容を見ると首が外れるレベルで頷くほどに納得してしまった。
 気付かぬうちに障害をもう一つ抱えていたことに驚きつつも、「人間の脳(神経)って、複雑の様で単純なんだなぁ…」と無意味な感心をしてしまう。

ーーーーーーーー閑話休題ーーーーーーーー

さて、ここからタイトルにもある「仮面が顔か…」の話に移りたいと思う。ここまでのことは全て「マクラ」だと思ってください。

 「マクラ」とは落語用語の一つで、本編の落語に入る前に素の状態で話す世間話の事。大概は演じる落語の演目にスムーズに入れる様にテーマに沿ったマクラが披露される(「時そば」「饅頭こわい」などの噺なら食べ物、「死神」や「貧乏神」ならば日本古来の神様の話など)。

 日本に古くから伝わる芸能文化のひとつである「落語」、その中でも大阪・京都を中心に演じられる「上方落語」において天才と謳われた桂枝雀氏が遺した言葉がタイトルにもある「仮面が顔か、顔が仮面か」である。

 柔和な顔立ちに軽妙な口振り、更にそこに動きが加われば面白さは破壊力を増す。「幽霊の辻」や「皿屋敷」などの幽霊噺も、そのとぼけた表情と口調で一気に枝雀ワールドに誘い込む、天才噺家であった。

 枝雀氏(当時は襲名前で桂小米)はその研究熱心な性格からか、34歳という噺家として脂の乗り切った時期にうつ病を発症。一人で部屋に閉じ籠り、食事や風呂などの日常生活もままならなくなったという。その後、良い医者から「休息を取り、脳を休めなさい」というアドバイスをもらい、2ヶ月後には再び高座に上がれる状態にまで快復した。

 その後、弟子自体の「桂小米」から「2代目 桂枝雀」を襲名し、落語のスタイルを改め人気が爆発。独演会は毎回満員、演芸大賞でも大賞を受賞、落語だけでなく映画界にも俳優として進出するなど、名実ともに上方落語の頂点となり、順風満帆な噺家人生に見えた。

 しかし1997年、落語における新たな試みとして「枝雀ばなしの会」という少人数の観客に対し落語を披露するという会を構想するが、元来の真面目さ、研究熱心さが裏目に出てしまい、うつ病を再発する。この時は年齢による身体の衰えも加わり、最初のうつ病に比べ症状が重くなっていた。
 「枝雀ばなしの会」は予定通りスタートするが、「求めている落語と違う」「なぜこんなに辛い思いをして稽古をしなければならないのか」という強迫観念に駆られ、症状は重くなっていく一方だった。
 2回目の高座では観客に「鬱なんです」と告白し、いつもの冗談だと思い笑い声を上げた客席に「笑いごとじゃないんですよ」と言うほどに、症状は深刻化していた。
 師匠である桂米朝が「最近の枝雀はええよ」と褒めても、自分の追求する落語像と寸分違っていることに納得がいかず、「あかん、こんなもんやない」と自分の理想像を突き詰めていき、自分を追い詰めていった。

 そして1999年の3月、自宅で首を吊っている状態で発見され、意識不明のまま病院へ搬送された。そのまま意識が戻ることはなく、4月19日、心不全により59歳でこの世を去った。天才噺家との、あまりにも早すぎるお別れであった。遺書や自殺をほのめかす発言が無く、完全な真相は分からないままであるが、師匠である米朝氏は、後に新聞のインタビューにおいて「死ぬよりほかなかったのかと今は思う」と、弟子の心の辛さを慮る発言をしている。

 人にたくさんの「ユーモア」を与えていた男は、そのユーモアとは対極にある「ペーソス」の中でもがき苦しんでいた。
 
物事はよく「表裏一体」と称されるが、これほどまでに切なく悲しい表裏一体を僕は知らない。

 さて、タイトルの「仮面が顔か、顔が仮面か」
 これは枝雀氏が最初にうつ病を発症した時のことを後に振り返った言葉である。

 「以前は、楽しいことも楽しくない姿勢で考えていた。これからは笑いの仮面を被って生きていく。笑いの仮面を何十年も被り続ければ、仮面が顔か、顔が仮面か、となる」

 この姿勢が抑うつ状態の根本的な解決に結びつくかは分からないが、僕個人としては「ただ現状に流されることなく、うつに抗おうとする」という姿勢に非常に感銘を受けた。
 この枝雀氏の発言を見たのは自分が体調を崩すもっと前なので、もしかしたら無意識のうちにこの言葉を金言として胸に刻み込み、自分の置かれた状況に抗っていたのかもしれない。綺麗事と思われるかも知れないが、今現在の自分に置かれた状況を見ると、そう思わざるを得ない。

 「楽しいことも楽しくない姿勢で考えていた」という言葉は、正に今の自分とリンクする。
 僕と枝雀氏の置かれていた精神状況は全く別物ではあるし、辛さ・苦しみを考えれば失礼・無礼にも当たるのは百も承知ではあるが、僕自身も楽しいはずのことを全力で楽しめていない、という状況をどうにか打破しようともがいている。

 心に付いた汚れ、傷はクレンザーや漂白剤では落とせない。
 ならば手っ取り早く、笑顔の仮面を被って自分さえも騙すということも、自分の心を守る為の一つの策なのかも知れない。
 そしてその仮面がいつか自分の顔と一体化し、良い意味で自分を騙し切ってしまえば、きっともっと人生を楽しく歩める様な気がする。

 もうすぐ桂枝雀氏がこの世を去って23年が経つ。
 今でも、彼の落語の映像を見ると、笑いながら涙が止まらなくなる時がある。

 現役時代の枝雀氏を見る事は終ぞ叶わなかったが、こうしてひょうきんな噺と表情を、これからも泣きながら笑っていきたい。


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