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My Ever Changing Moods / Dear, 27歳の僕 #3

こんばんは。元気にしているだろうか。

今日は雨だった。仕事に行ったのだけれど、カバンに入れていた本を通勤の過程で濡らしてしまった。まあ、こういうことはよくある。図書館で借りた本でなかったからよかったと自分を慰めている。それで、鷲田清一の『〈ひと〉の現象学』という本を読んだのだった。すこぶる面白い本で、これは再度読み返してじっくり書かれていることを消化したいと思った。

いや、もちろん今日はもっと他にも色んなことが起きたんだ。レヴィナスとウィトゲンシュタインについて書かれている本を買いたかったけれど、結局買わなかったとか。六時間の仕事の内容だって、六時間に見合った中身を伴っている。だけれども、六時間も仕事をしていてどうしたかってことは、わざわざ六時間割いて語るまでもなく五分もあれば充分だ。不思議なものだ。六時間苦労した出来事が、今思い出せば五分かそこらでまとまってしまう。だとしたら、その他の時間はどこへ消えたのだろう。

でも、それについて語るのはまたいずれ。今日は鷲田清一の本を読んで考えたことを言葉にしたい。僕は付箋を使わないで本を読む。ので、どこが該当箇所か見つからないのだけれど、確かこの本の中で子どもは虐待されたら、虐待されている自分自身を別個の人格のように見てしまうクセがつく、というようなことが語られていた。それが解離や多重人格につながるというらしい。これは僕にもわかることなので、面白いと思った。

僕も、子どもの頃からいじめに遭ったり随分苦労してきた。大人になってからも職場でイビられて、そんな自分自身から逃げ出したくなってしょうがなかった。だから、僕は自分自身のことが一時期嫌いで嫌いでしょうがなかった。早稲田に行ったことも、人は必ず「本当に!?」と驚く。でも僕からすれば、たとえは下品だけれどアダルトビデオに出てた女優が過去を指摘されて騒がれるようなもので、嬉しくもなんともなかったのだ。

僕は、僕のようで僕ではない……この僕は本当に僕なのだろうか。職場では散々いじめられボロクソに言われて、でも早稲田に行ったってだけで驚かれて、だけどやっぱり使えない奴扱いされて……本当の僕ってなんなんだろう、って思えば思うほど不思議に感じられる。でも、一方では「なにを言っている。こうやってキーボードを叩いている僕が僕でないなら、一体なんなんだ」とも思うのだ。僕はここにいてこうやって生きている。簡明な事実。

もちろん、こんな厄介なことなんて考えなくても生きていけるのだ。呼吸と同じだ。呼吸をしないと人は死ぬ(いや、厳密にはそうではないかもしれないけれど、取り敢えずこう仮定しよう)。だけど、呼吸を忘れると死ぬといって忘れないように呼吸をし続けている人は、一般的には存在しないだろう。呼吸はごく自然なことだからだ。そういう人にとって、呼吸を忘れたら死ぬ人の存在はユニークかもしれない。人によってはそこに記憶の神秘を見出すかもしれない。でも、自然に呼吸をする人がそうできない人より偉いとかいう話にもならないし、逆もまた然りだ。人それぞれなのである。

変なたとえで話がややこしくなったかもしれないけれど、要するに「僕って誰」っていう類の問いを問わないのは呼吸と同じだと言いたいのだ。呼吸はごく自然に身につけた身振りで、「僕は僕」と落ち着ける身振りと同じ。自然なこと。でも、稀にそこでぶつかって「僕って誰」と問い始める人が出てきてしまう。それが他でもない僕だったりするので、僕からすると「僕は僕」の人は羨ましいなと思うのだった。

マルマンからリリースされているニーモシネという文房具のシリーズがある。ノートが主みたいなのだけれど、メモパッドも売られていてそこに僕は英語でメモを書く習慣を身につけている。一日、色んなことが起きる。それをメモにする。なんでもいいのだ。「奇跡とはなんだろう。それは稀にしか起きないけれど、チェスタトン的に言えば起きてしまうことだろうか。さて、テレビから貞子が出てきたら人はそれを奇跡と呼ぶだろうか」といったような変なことをこないだは書いた。

それで、読み返してつくづく呆れたのだけれど人の思念というやつは本当に変わりやすい。朝考えていたことなんて、夕方にはもう忘れていたりする。朝ウィトゲンシュタインとレヴィナスの研究書を買いたいと思っていたあの欲求はどこへ行ったのか、と思うほど夜はメルロ=ポンティについて書かれた本を読んで落ち着いている、ということがしょっちゅうなのだ。スタイル・カウンシルに倣って「My Ever Changing Moods」って言いたくなるね。

だから僕は、あまり自分の気分というやつを信頼していない。皮膚感覚は信じる。この会社は入社したくないな、とかそういうカンだ。でも、仕事で「しんどいな」「やりたくないな」という気分に陥ったとしても、僕は仕事を淡々とこなすことにしている。そうすれば自然と仕事に自分を埋没させられるからだ。今日の手紙はもう長くなってしまったので、また次の手紙を書くよ。それでは。

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