『喜べ、幸いなる魂よ』 佐藤亜紀
-- しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう -- (テサロニケ人への第二の手紙 3.3)
悪しき者は概ね男であろうか。
この作品に登場する主な男は「女(ヤネケ)に都合の良い男」リストになっている。
ファン・デール氏
ヤネケを抑圧する筆頭候補の父親だが、かなり早い段階で脳卒中で倒れ、言葉をなくし、しかし死なないで物語の最後まで生き残る。殺すことすらしないという点でかなりの悪意を感じる。
テオ・ファン・デール
ヤネケの倫理的な片割れであるべき双子の弟であるが、ゲイ。ジェンダー的には中立で、正直で能力も高く、父親が死んだあと家のことは概ねやってくれる。ヤネケにとってこれほどいい弟がいるだろうか。
ヤン・デ・ブルーク
ヤネケが愛するとしたらこういう男がいちばん都合が良い。自分を愛してくれて、でも結婚のような契約で縛ることを無理強いはしない(どころか代わりの女を当のヤネケにあてがわれている)。知的で能力もあり性格もよく、知恵(林檎)を授ければ喜んで受け入れて、万事に頼り甲斐がある。セックスもしたい時にだけしてくれて、女が引いた境界(ベギン会の家が象徴)を越えて踏み込んだりは決してしない。
レオ
一見、女を抑圧する典型のネトウヨのようなやつ。こんなのがヤネケに都合が良いわけはないと思うが、実は攻撃対象として都合が良い。「いや結局、理性が生み出したのはこんな鬼子だったって落ちだよ」と冷酷と愛情の間のような場所から、ネット上の同種の雑魚どもを叩くような感覚で非難できる。
以下、雑感
ベギン会の女は髪を覆い隠し、男は(当時の習慣で)鬘を被って公的な場で発言する。その鬘はおそらく女の髪でできている。ヤネケは当時の学問の中核であらゆる男の上をいっている。男は女からの借り物で公を生きているという戯画になっている。
元々こういう毒が先だったのか、それとも宗教と科学、経済と政治のような問題意識が先だったのかはわからないけれど、少なくとも物語を壊す男は小説の外にしかいない。それは、これからやってくるオーストリア、フランス、オランダのような暴力の場所、ということであろうか。
2024/7/20 追記
「終わらない読書会」を通じて、ググった程度の調読と18世紀政治思想史を専門とされている方の読みの差をまざまざと見せつけられました。
あと、テオが冒頭で髪を剃ったことについてヤンが「何かあったっけ」と思い、最後にヤンが倒れた時に「何とはなしに」テオに抱き止められたような気がした、というところを読んで(なんならマーカーまで入れておいて)、まったくテオのヤンに対する気持ちに気づけていなかったことに我ながらびっくりした。
先入観はいかん。反省。
もちろん、読んでいる間は、非常に楽しいのであったが、解釈をし始めると、当方の「悪意」が滲み出てきてしまう。反省。