聖書を読むnote#3
マルコによる福音書10:46-52
さて、一行はエリコに着いた。そしてイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出て行かれると、ティマイの子のバルティマイという目の見えない物乞いが、道端に座っていた。
彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び始めた。
多くの人たちが彼を黙らせようとたしなめたが、「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ。
イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。
その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
イエスは彼に言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」すると、その目の見えない人は言った。「先生、目が見えるようにしてください。」
そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。
感じたことなど
バルトロマイ(12弟子の1人)とバルテマイは別人(ついて行った、とあったので、もしかしたら、、、と)
「盲人・乞食」イエス様には希望を持っていい。
「ダビデの子よ」バルテマイは父なる神の子が救い主イエスキリストと信じている??
叫んでいるから相当うるさい。必死なのがわかる。
「躍り上がってイエスのところに来た」かわいい、めっちゃ喜んでる。
「私に何をして欲しいのですか?」イエス様はシンプルにいつも問いかける。
バルテマイの回答もシンプル「見えるようにしてください」
「あなたの信仰があなたを救いました。」もっともっとシンプル。
まとめ
読めば読むほど、信仰はシンプルでいいと思える。
イエス様は私のことをよくわかっていてくれている。
イエス様の私に対する愛、それを心から信頼すると回答がシンプルになる。
乞食から解放されたいのではない、ただ目が見えるだけじゃない、イエス様を見たい。
バルテマイはイエス様が微笑むのをどんな気持ちで見ただろう。
天国の喜びがここにある。
イエス様、今日もあなたを見上げます。
あなたは私を無条件に愛してくださり、そして与えてくださる方。
私の声を聞き、そして私の心の全てを知っていらっしゃる方です。
これほどの平安はあるでしょうか。
天国の喜びと完全さを通し、私の見るものがあなたによって祝福されますように。
イエス様のお名前によって。
アーメン