京大生の本棚 編集後記「汝、星の如く」
はい、6000字越えの読書感想文を投下したにも関わらずまだ語り足りないので編集後記のような形で第二弾を書きたいと思います。
6000字では書ききれなかったことをつらつらと書いていきます。
「ちゃんとした作品情報を知りたいよ!」という方は前の記事をご覧下さい。
1.マリアナ海溝くらい深く共感した「一人で生きる怖さ」
生き方が多様化してきているとはいえ、「結婚・恋愛をするかしないか」ということは人生においてある程度のウェイトを占める問題でしょう。
もちろん、「しない」という選択肢もあるし、何を選ぶのかは自由です。一人で生きていく、という選択をしたっていい。
しかし、こうも思ったことはないでしょうか?
「人生100年時代、この先数十年ずっと一人で生きて、老いていくのだろうか?」
決して安心安定とはいえない今の社会で、長い人生を一人で生きていくというのはなかなかに茨の道です。とはいえ、結婚となるとそれも違うし、そもそも恋愛したいわけではない…。そう葛藤する方々に寄り添ってくれるような箇所がありました。
長いですが、引用します。
この箇所を読みながら、首がもげそうなほどうなずいてしまいました。
筆者もそこそこ多趣味で、推しが乱立しているため一人で過ごすことはそこまで苦ではないのですが、これから先ずーーっと一人で!というのはなかなかしんどいというか、怖いというか、耐えられるか不安です。
自分に何かあったら、誰に連絡すればいいのだろう。とても辛いことがあったとき、一人で耐えられるだろうか。などなど、不安はつきません。
そんなときに、一般的に言われる「結婚」とは違う形で誰かと一緒に生きていくという選択肢もあるし、それに対する理解が広がってほしいという願いが込められたこの言葉は、私にとって希望の灯火のようなものでした。
2.愛は…
この文もしびれました。無償のように見えて根底にエゴが流れている、愛の本質を捉えた言葉だなと…。
やや脱線しますが、この箇所を読んで思い出した台詞があります。
幼なじみである里香に呪われた少年・乙骨憂太にかけた言葉です。乙骨くんと里香ちゃんの関係性については、最後の方に真実が明かされます(ネタバレをギリギリで避ける人)。
このセリフも重いですね…五条悟と夏油傑の関係性を知ってから見るとなんとも言えない気持ちになります。
今の意味での「愛」という言葉は、明治時代から使われ始めたらしい、ということをご存じでしょうか。しかし、「愛」という言葉そのものは仏教用語としてそれ以前から存在したようです。
仏教における「愛」は善悪問わず様々な意味を持っており、大きく分けて5つの意味があるそうです。
1.自己・血族・親族への「愛」(基本的な愛の形)
2.他者に対する「親愛」(社会やコミュニティに対する愛情・友情)
3.特定の個人に対する「欲愛」(恋愛感情、パートナーへの情熱的な愛)
4.性的な「愛欲」(はい。)
5.病的・盲目的レベルの「渇愛」(不健康なレベルでの強い執着や依存)
「愛」は仏教において煩悩の一つとされ「ものを貪り、それに執着する」「欲望の満足を求める心情」を生じさせるものと考えられているそうです。
「愛と呪いと祈りは似ている」
様々な解釈があるとはいえ、「愛」というもののある意味でどろどろした側面をこれほど鮮やかに抉り出したこの一文に、感嘆せざるを得ませんでした。
3.選ぶ=捨てる
今年の上半期に放送された朝ドラ「らんまん」でも、
「何かを選ぶことは、何かを捨てることだ」
というセリフが印象的でした。
人生は選択の連続です。「選ぶ」ということは、「選ばなかった方」も出てきます。何を選んで何を選ばないのか、最後は自分自身で「誰になんと言われようと好きなことを」選び取りましょう(曈子さんのセリフより)。
以上で、2パートに及ぶ『汝、星の如く』語りを締めたいと思います。お読みくださりありがとうございました!
この2記事を読んで「気になったよ!」という方はぜひポチっとお願いします↓🙇♀️
https://amzn.to/3tE4N1N