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 下書きした投稿が溜まっています。
それをアップする前にまた書きたいことが沸いて出てきます。
日々の出来事を通じて、様々な学びを得ているからです。
「反省」することが最近多くなりました。
「反省」という言葉は「学び」という言葉と同意ではないかと思うほどです。

昨日の「学び」をシェアーします。
最後までお読みいただけると嬉しいです。

昨日は「A-KIND塾」という社会事業家のための塾 4期生の課題「岡崎フリーマーケット」での収支報告と感想を発表する日でした。
お陰様で、いろんな偶然が奇跡的に重なり、私たちの班はぶっちぎりの優勝でした。
私も達成感と無事終われたという安堵感に浸っていました。

けれど、他の班の発表を聞いていくうちに次第に「反省すべきこと」が湧き上がってきました。
私の班は決して他の班より優れていたわけではありません。
ただ、運が良かっただけ。
もっと長期に渡っての課題であればきっと仲たがい、不協和音が流れていたとも思っています。
事無きを得たのはただただラッキーだっただけ。

他の班でひとしきり大変であったであろうと思う班の人がいました。

私は岡崎マーケット当日、その班の人と少し接する機会がありました。
それなのに、その大変なことに気づかず、その人を思いやることができませんでした。
SOS出していたのに・・・。

班のメンバーと課題をクリアーすることに必死で、周りを思いやる気持ちを忘れていました。
そんなにむきになってしなくても良かったのに。
上手くいかなくても、上手くいっても、どちらも学びであることはわかっていたはずなのに。

塾生全部でもたった20名弱です。
班を越えて気遣い、助け合うこともできたのではないか?
せめて大変な状況を理解してあげることができたんじゃないか?って思いました。
たった20名程の塾生同期全てに気を配ることができないのに、なにが社会を変える。社会の弱者を助ける、社会課題を解決する!やって。
どの口がそんなえらそうなこと言うってんねん!って思いました。(笑)
目の前にいる人を思いやれなくって
気遣ってあげれなくって
その人の辛さに気づけないなら
多くの人の巻き込み共感してもらえることが発信できるはずがない。
自分自身に共感性が無いんやから
人を共感させられるわけがない。

私は帰りがけその人に謝りました。
そんなに大変で辛い状況であったと察することができなくて
ごめんなさい。m(__)mって。

大いに学びのある塾課題でした。
学びの機会をありがとうございました。
自分への戒めも込めて綴っておきます。

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やまもと まゆみの世界感<発達障害って言葉が無くなること願って、大人と子どもの発達支える仕事してる>
個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!