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多くの人は人前で話すのは苦手。それはコミュ障とは違うし苦手は「できない」ということでもない。

最近は、ある程度の年齢になっている若者や人と接することが多い。
そして、上手に生きている人より、不器用に生きている人の方が多い気がしている。自分も含めて。

一方で才能あふれるユニークな人とも出会うことも少なくないし、
そんなことを考えるとやっぱり私の周りは多様性にあふれているんだと実感する。

そんな毎日で最近感じることは人が話しているのを聞いた時に
『「その言葉のチョイス」が違うよな~。』って。
それは、本当は「○○」って言葉で表現した方が良いんだろうな~って。
そんなことを考え出すと、「コミュニケーションスキル」ってことを
深めて考えてみたくなった。

「苦手」と言う言葉

「苦手」なことは誰にでもあって、
「苦手」なことは「上手にできない」ってことでもない。
「苦手」でもうまくできる人はいて、
ただ、自分の心の中は「嫌」だとネガティブな感情に囚われてしまうと言うだけだ。

これと反対である
「得意」って言葉は「苦手」とは違って
「得意」なことは=「上手くできる」ってことが多い。
「強み」って言葉にもなるのだろうか?
自分の「得意」は何?
自分の「強み」は何?

そんな言葉で表現できることと少し違う
「発達の凸凹」と言う表現


「苦手」や「得意」
「弱み」や「強み」という言葉とも違う。
なのに、そんな言葉を「発達の凸凹」に絡めて表現して、
そのことが「発達の凸凹」「発達障害」を理解することのように誤解や勘違いを生んでしまっている。
理解していない人が平気で人のことを指して
「あの人は発達障害だ。」とか
「あいつはコミュニケーション障害だ。」と言うのだ。

専門家でない人、
診断を下す立場にない人
ほとんどがそんな人なのに
軽々しくそんなことを言わないでほしい。

言われた相手はその言葉に翻弄されるのだから。


「コミュ障」と言われる人のほとんどは
コミュニケーションを取るのが「苦手」なだけ。

みんなの前で上手にお話しできないことは「コミュ障」ではありません。
「空気を読めない。」と言うのも
その人が思う対応でないことを勝手にそう言っているだけ。
なぜ、その言動になったのか?の理由も知らないのに、
「空気を読めない人」と決めつけているだけ。

そんな風に大抵は「誤解」と「勘違い」だ。

「苦手」を克服できるほど、練習する機会がなかっただけ。
練習しようと思わなかっただけ。
「上手く話せなくても良い」のだと知らないだけ。
一生懸命さがコミュニケーションの壁をなくすことを知らないだけ。

自閉ちゃんが時として上手にコミュニケーションを取ることを知らない人が多すぎる。
コミュニケーションは、「聞く」「話す」「読む」「書く」だけではなくて
今の時代はLINEなどのSNSでのやり取りも含まれる。
絵文字やスタンプも含まれる。
そんなツールを自閉ちゃんも上手に使いこなすこともご存じだろうか?
「言葉の遅れ」が特徴である自閉症であっても、
日常生活には支障がない場合もあるのだ。
反対に「言語の発達の遅れ」が無くても人とコミュニケーションが取れない人もいる。

だから、人にレッテルを張って評価しないでほしい。

社会では、最低限コミュニケーションを取らなければならない環境でコミュニケーションが取れたらいいだけで、プライベートな自分の時間にコミュニケーション取りたくもない人と取らなくってもなんの問題もない。

自分を嫌な気持ちにさせる人となんてコミュニケーション取らなくても良い。
そんな人との関係は断捨離しよう♪


コミュニケーション障害はそんなに多く日常に存在しない。


そんな風に思う。
自分の好きなようにコミュニケーションを取ればいいだけ。
自分らしく生きれば良いだけ。





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やまもと まゆみの世界感<発達障害って言葉が無くなること願って、大人と子どもの発達支える仕事してる>
個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!