「ことばの色」~あなたを傷つける記事は読んではいけません~
今日は、お仕事に関することとそれ以外のこと
どちらを書こうかと迷っていました。
賛否両論あろうかと思いますが、それも理解しているつもりなので、
書かせてください。
今日は、お仕事以外のこと。
SNSが拡がり誰もがいろんなことを自由に
誰でもが見ることができる場所に書くことができるようになりました。
書いている人 みんな それぞれの「正義」を基準に「良い」と思うことを書いている。
もちろん「良いこと。」「正論」を書いている。
けれど、その記事の中にも明らかに読み手を苦しめる記事があります。
世の中の正論、良いことを書いてある記事なのに
読み手が「辛く」なるのです。
なんだか読んでいくずつ「自分が追い詰められていく」のを感じるのです。
それはなぜでしょうか?
その記事が書いてあることは「正論」で、
書いてあるようにできれば良いのだけれど、
今の自分にはそんな余裕がなくできない。
共感できることと自分が実践できることに乖離がある。
そんなことができる自分であるなら救われるだろうけれど、
いろんな万が一の備えができるに越したことはないけれど、
目の前のことをこなすだけ、その事で一日が終わってしまう人にとっては
まるで「脅迫」されているような気持ちになる。
追い詰められていくのです。
もちろん、記事は誰かを非難するようなことを書いているのではないのだけど。
また、同じようなことを書いているのに、一人の方が書いていることはわたしを勇気づけるのに、もう一人の人が書いていることはわたしを苦しめる。
その違いはどこから来るのか?と考えてみた。
おそらくその人たちが書く記事の醸し出すことばの色が違うのだと推測します。
ことばの色の違いは、その記事の内容が
(その書き手の意図とは違うであろうけれど)
ことばにする必要がない内言語にしておくことをわざわざ書いていることが起因しているのではないかと思います。
わざわざ書かなくても良いことを書いてあると言うこと。
そんなことを上手に「正論」に絡めて書かれると
そのような書かなくても良いことを読まざるを得ないのです。
また、今の社会を基準にした「正論」は正確に言うと「正論」ではなく単なる「主観」であることも多いように思います。
「転ばぬ先の杖」のようなことは
余裕のある人はできるのだけど、そうじゃない環境で生きている人にはそういうことが出来ず、やりたいけど出来ないことに追い詰められる。
結果、何を言いたいかと言うと、
自分が辛くなる記事は、「社会貢献」を謳っていようが、今現在の「正論」であろうがどんな良いと思われること、他の人がシェアー、おススメしてようが読まなくって良いってことです。
と言うより「読んではいけない。」と言うこと。
情報や知識を得るための記事を読むのは良いのだけれど
その中に個人的な主観に基づくような記述をする人の記事は読まなくても良いですってこと。
あなたも読んでいて気分が沈んだり、辛くなったりする記事は読んではいけません。
「いいね!」なんてこれっぽっちも思わない記事に「いいね!」をつけてはいけません。(笑)
そう言いながら、もちろん「自分の記事も誰かを傷つけているかもしれない。」という自覚をしながら、誰かには「希望」を抱いてもらえるような記事を書きたいと思っています。
わたしの記事を読んで気分が暗くなるなら読んではいけません。(笑)
せめて夜寝る前には
安らかな気持ちになるあなたにとって良い記事をお読みになってくださいね。