2013/10/23 大熊町にある原発作業員の寮

画像1 実家の向かい側に原発作業員の方たちが多く暮らす寮があった。単身赴任者が多かったと思う。この建物も緑に飲み込まれていて、不覚にもきれいだなと思ってしまった。
画像2 二階建ての建物が寮だ。私の部屋とこの寮の二階が同じ高さで、しかも至近距離だったので、作業員のおじさんが部屋を覗くのが嫌だった。
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画像5 部屋のドアが開けっぱなしになっていた。3月11日もここの住人は、原発で仕事をしていたのだろうか。その後、ここへは帰って来れたのだろうか。
画像6 部屋の中に枯れ葉が溜まっていた。
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画像9 寮で暮らす人の車だろうか。2011年3月11日、14:46に地震、そして津波。15時台には既に原発の全電源喪失状態に陥っており、夕方からバタバタと車に荷物を積んで町を出る家族が多くいたという。友人が「どこ行くの?旅行?」と聞いても、彼らは何も答えなかったそうだ。あの日の夕方、大熊町を慌ただしく出ていった家族はのちに東電職員の家族だと知ることになる。
画像10 同級生は3月11日の地震後も自宅で過ごしていた。そして12日の早朝、今すぐバスに乗れ!と大熊町のバスが迎えにやってきて、そのまま避難所へ。その日の午後、原発が爆発したのだった。

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