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人間の生活圏が地中だったら

地中に人間が一人いたとする。

動けないので、生活圏を広げる。

手の届く範囲なので均等広がっていく。


もう少し広げると身体感覚が及ばなくなって、いびつになる。

空間が広がって二人になるともっといびつに。

3人になるとさらにいびつになる。
広くなると空間の維持にも労力がかかるようになって広げるのが難しくなってくる。

また人が増えると、広げてきた空間の維持をせず、独自の動きをする人が出てくる。

すると

世界がもっと広かったことがわかる。

そして

いけるとわかった方向には後に続く者が出てきて、その方向に生活圏を広げていく。
独自の動きをする人は一定数出てくる。もちろん、失敗も数多く出てくる。

地中でなくても

できたところを維持することは重要。確実にメリットがある。
しかし、何らかの理由でそこで生活できなくなったら、そこを維持していた人々は生きていけなくなる。
逆説的だが、先のことを考えると、後先考えずに、独自の考え、想い、感覚で行動する人たちがいるといい。その先に新しい生活圏ができていく

「すでにあるところを維持する」と、
「見えない何かを探る」では求められる能力が違う。
自分がいる場所のルールを他人に当てはめたり、評価したり、排除したりするのは自分の不利益になる。

互いに理解する必要などないし、応援する必要もない。
ただ「安全圏の確保」と「可能性の探求」がどちらも全体の利益になると知って、各々が活発に動ける状態を維持しさえすればいい。
「可能性の探求」は失敗が多い。
失敗したら一旦生活圏に戻して、また何かをし始めるなら送り出したらいい。「できなかった」という事実も消去法として、次への財産になる。

こういったことが、生活圏が限られている地中だと目に見えるからわかりやすいというだけで、実際はどこに生活圏があったとしても、同じような課題があり、目指すべき社会の形は変わらない。

地上で

我々は、光があり、空間があるため自由に動き回ることができる。

だからなのか
「見えるもの」
「自分の価値観」
「わかっていること」
「今のこと」
には目が向くのに対して

「見えないもの」
「違う価値観」
「わからないこと」
「未来のこと」
こういったものはないものになってしまう。

例えば、
車椅子のために、バリアフリーや環境を整えることを検討するのに、目には見えない理由で日常生活が送れなくなった人には当人が変わることが求められる。
個々人の特徴を環境に合わせることは、誰のメリットにもなっていないことを知っておくべきである。

現実に、目に見えない問題は山積している。
地上にしても地中にいるのと同じように感じる人もいるだろう。
積極的に何かしているなら放っておこう。
苦しそうだったら、苦しくないところで休ませよう。
それだけでいい。


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