不安と迷いの先にあるワクワク。
東京生まれ東京育ちの私は、人生のほとんどを電車移動で過ごしてきました。車に乗ることなんてほとんどないし、乗る必要もないと思っていました。だって、電車があればどこへだっていけるから。
これまでの人生、運転免許がなくたって何の不自由なく過ごしてこれた。これからもそうだと思っていた。でも、変わりました。
28歳秋、教習所に通います。
ちょっと遅いかもしれないけれど、新たなことにチャレンジしてみようと。不安だけど、できるかわからないけど、この先のワクワクを広げるために。人生を楽しむために。新しいことを始めるのはいくつになっても不安。むしろ年齢を重ねるたびにこわくなる。
毎回毎回、立ち止まるたびに私は悩んでしまうから、気持ちの整理がてらnoteに残してみようと思います。
「本当に必要?」という名の「自信のなさ」が心のストッパーだった
「免許なんてなくても歩いていける」東京に住んでいた時は、電車がなければ歩ける、最悪タクシーもある。そんなモチベーションで生きていたので、東北へ引っ越しても自宅近辺と家の中で十分楽しめるだろうと考えていました。でも、夫も夫の周りの人にも口をそろえて言われたことは「まず免許を取ろう!」だったのです。車がないと何もできない、そんなことあるわけない。ずっとそう思っていました。
引っ越してきて数ヶ月、やっと気がつくことになるのです。「車がないと自由になれない」と。
なんでそんなにも運転免許を取りたくなかったのか。そもそも、車を運転することに興味がなかったというのが1番の理由かもしれません。だって、お散歩大好きだから。1時間、2時間なんて余裕で歩ける、だから免許なんてなくてもいいと、免許を持っている人からすれば変わっているねと驚かれるような理由で必要ないと思っていました。
そして、運転するのがこわかった。だって、いろんな事故があるし、最近よくある煽り運転とか、巻き込まれたくないこわい。もし自分が事故を起こしたら……運転免許も持っていないのに、自分が車に乗った先の不安まで考えてこわくなって、しまいには「私は運転のセンスなんてないだろう」って、勝手に決めつけたりなんかもしていました。運転、したこともないのに。
知るたびに広がるワクワクと自由
東北に来て、車に乗ることが増えると、不思議とそんな不安や恐怖は薄れていきました。むしろ「ドライブ楽しい!」車の自由さと快適さをやっとやっと知ることができたのです。行ったことがない場所、行ってみたい場所、必要に駆られていきたい場所、車で連れて行ってもらうたびに、「車っていいなぁ、運転してみたいなぁ」と、心が開かれていく気持ちになっていきました。
免許を取って、車に乗れるようになったら新しい仕事の幅も広がるかも!友だちが遊びにきたら、私がアテンドしてあげられる!ちょっと遠いと思っていた場所にも気軽に足を運べる!次々に夢が広がっていく。大げさに聞こえるかもしれないけどまさにそんな状態で、思考もちょっとずつ自由になっていったのです。
最大の壁は「自分でつくった見えない不安」
それでも言い出せない「免許取りたい!」の一言。あと一歩越えられずにいた壁。それは、自分で創り上げた想像でした。
28歳主婦、高校大学といくらでも免許取る時間はあったはずなのに、何で取らなかったの??なんて、誰かに思われるのが恥ずかしい。それこそ、今から教習所に通ったら周りは大学生ばっかり。若者たちにどう思われるのか、教習所の人たちにそう思われるのか、下手くそだったらどうしよう、できなかったらどうしよう。まだ始めてもいないのに、誰にどう思われるかばかりを気にして、新たな可能性にチャレンジすることを恐れていました。
新しいことに、未体験のことにチャレンジするのはやっぱりこわい。だって、見えない不安がたくさん見えてきてしまうから。でも、けっきょく「やってみないとわからない」「立ち向かってみないとわからない」それに尽きると思うんです。
自由になるために選んだ「動き出す」ということ
慣れない土地で車も乗れない、一人で遠くへ行けないなら動ける範囲の中で楽しもう、そうやって自分で自分の自由を制限してきた。でも、どんどんどんどん「私って一人じゃ何もできないんだな」とか、「車に乗れないと仕事もできないし、人にも会えない」ってネガティブな気持ちで心が埋め尽くされて苦しくなっていく、自分で自分を不幸にするのはもうやめよう。私はついに、教習所に通うことを決めました。
やる!と決めたら、今はなんだか心がスッキリしています。なんなら、早く教習所に通いたい!勉強したい!運転したい!と思うくらい。運転できるようになったら……と考えると、楽しみが尽きません。
何をやるにしても、新しいことにチャレンジするってやっぱり勇気がいるもの。免許もそうですが、大きな資金が必要なことであればなおさら覚悟を決めなきゃと感じてしまいます。それでもやっぱり、やってみないと何も変わらない。何もわからない。向いてるか向いていないかとか、嫌な人に出逢ったらどうしようとか、不安や迷いは考え出したらキリがないから。考えて考えて考えても何も動かない、何も答えが出ない、そう感じたときがきっと一歩踏み出してみるタイミングなのかもしれません。
チャレンジすると決心したあとのワクワクは、これまでの不安も迷いも吹き飛ばしてくれるくらいエネルギーがあると感じます。いくつになっても、何かにチャレンジするワクワクを、一歩踏み出す勇気を持っていたい。その先のワクワクを楽しむために。
立ち止まっている時間は何も悪くない。悩んだり迷ったりする時間は、先に進むための勇気や覚悟になっていくから。次なる一歩へ向けて、ゆっくりと、ときに大胆に進めるように。
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