[自分用メモ] トランス差別はシス男性が主体的に解決すべき問題だという現実

メモ。

社会的弱者を世話する役割を持つがゆえに差別されてきた被差別集団

というものは古今東西よくいる。

ひにん集団が江戸への流民保護の役を担ったことなどは典型だが、シス女性は世界共通のそのような被差別集団の典型だ。

「社会が新規に認知した被差別集団」であるトランス男女の問題を、伝統的な被差別集団であるシス女性に対応させるのでは江戸時代と大差ないし、被差別集団の手弁当と良心とシスターフッド頼みなだけ江戸時代より悪い。

この記事は、シス男性たちが作る『サウスパーク』のパス度不問のトランス問題揶揄は叩かず、JKローリングの無知と当然の懸念は叩き、はては百年くらい前のグリフィス(むろん男だ)の『國民の創生』にあるトランスフォビア描写でまでシス女性を叩くという、またまた主に男性(女性もいるが)の集団ヒステリーかつ、またもやシス男性の問題をシス女性に丸投げする伝統芸過ぎて恥ずかしい人々を見た記念の覚え書きである。


例によって『男の解決脳』がほぼシス女性への命令と丸投げであり、拒否されるとヒスってるだけな件

まあ政治学ってのはアリストテレスのいた古代から

男性(自由市民)=頭脳労働向き。男らしいので肉体労働に不向き。
女性=肉体労働向きの頑丈な身体と素朴な頭脳と精神を持ち、頭脳労働に不向き。
奴隷=男性でも女性的、つまり動物に近く頑丈な身体と素朴な精神を持ち、肉体労働向き。奴隷女性はさらに酷使可。「女性や奴隷が男性市民に支配されているのは 得意不得意の違いに過ぎず、単に知的精神的に劣る存在だからであり、お互いに尊い。僕らは人体で言えば頭脳、女や奴隷は手足みたいなもので、役割分担にすぎないし平等なのさ。俺らの支配が奴らを守っているのさ。

「よって我々の支配が奴らを守っているのだ。「男らしい男」が支配者なのだ。」

的なタワゴトを説いていたので、今の社会もその大前提で出来上がっている。

シス男たるものは古代アテネ市民のごとく、人生の問題をシス女や奴隷に丸投げして守られて暮らすべきであると称して、そのために女性や奴隷的集団の人権を奪い、「男が男らしく」崇高なことばかり考えて生きられる社会を目指し、伝統的な政治も日本を含む先進国社会も設計されてきた。

なのでシス女性が何かにつけ怒るのは当然だし、

標準的な男性として育てられたシス男性やトランス女性が、シス男性らの問題でもシス女性に解決を要求してヒステリーを起こすものなのだろう、残念ながら。

まず自分の中高レベルの常識を思い出しながらトランスの概念を整理したい


①トランスセクシャル=解剖学的な性別を変える人  

創作物の古典的な名作『ヘドヴィック・アンド・アングリーインチ』など

生物学的には「性別」は天動説のような古代の迷信。21世紀育ちなら中学高校理科くらいで「性別は人口の数だけ存在するし、男性が優れる可能性など皆無。」と生物学的根拠付きで理解しているくらいが先進国の期待値であろう。

言い換えれば人類はシス女性やトランス男女にアホかつ酷いことをしてきたので、今どき迂闊に「生物学的性別」などと口走ると21世紀育ちからはJKRのように嘲笑され人非人扱いされて議論の入口に立てない。要注意。


②トランスジェンダー =解剖学的な性別と自認が異なるため、社会的な性別を変える人 

おそらく善良な男女が大半であり悩んで自殺に至るなどあってはならないが、残念ながら、サウスパークで描かれた筋肉ムキムキ髭面のまま女性に嫌がらせをする「○週間前に女性になった女性」もこれに該当するし、例によって一部シス男性と一部トランス女性がシス女性全員に課す「パス度は不問(「一目でその性別としてパスできるかどうかでトランスをみるなんて差別」)という条件下では当然「女性」に入る。

生物学的な男らしさは女性への性欲・暴力・高い能力のどれとも全く無関係だが、古代から前世期末まで男性の願望と集団ヒステリー的なニセ科学でそう唱えられ、シス男性は制度や文化で優遇されてきた。

また性別がほぼ無意味で解剖学的な違いに過ぎないとはいえ、現にシス男性のように迷信で高等とされ、法制度や慣習的にも圧倒的優位にあり、解剖学的にも「腕力に余裕があり」「妊娠出産もせずにすみ」「他人から見るとキレると怖いヤツなのでワガママが通りやすい」属性の個人が、愚行でもって「男らしさ」を誇示する事態は想定すべきだろう。

シス男性がトランス女性を名乗ってトランス女性やシス女性に嫌がらせをする事態はむろんシス男性の文化の問題だ。

元々シス女性を合法的に蔑視してきたこの社会で「シス男性から身を守ったうえでトランス男女に配慮する」という難しい実務を、シス女性に丸投げするべきではない。


③トランスヴェスタイト=習慣的な異性装者。社会的な性別と自認は同じ。

「蜘蛛女のキス」など。ドラァグクイーンも相当な割合でこちら。


④別の何らかの理由で異性装するシス男性や女性。

例えば奈良時代のように男女で租税が異なることは古今東西よくあり、脱税防止の一環として性別ごとの服装のルールや、日常的な異性装のタブー化が普及した面がある。


歴史的背景


シス男性はアリストテレスや四書五経の古代以来、政治的な特権集団であり、古今東西、おおかれすくなかれ古代都市の市民階級ににた優位を付与されている。

あくまで「社会がその人をどのジェンダーとして見るか」という基準ではトランス女性もシス男性として生まれ、特権意識を持つように育てられる。

逆にシス女性は、アリストテレスや四書五経の古代から政治的には被差別集団であり、以来延々とそのような政策下にあった。

要はシス女性は古今東西、おおかれすくなかれ古代の奴隷ににた境遇を生まれつき付与され、逃れにくい。トランス男性も生まれつき社会から「シス女性」として認定された以上はその境遇を逃れにくい。


前も書いたが、身分制(=無能による支配の維持)を絶対的な前提とするなら、「社会ぐるみで目下や女性を虐待すること」で支配は安定するし、シス男性の精神や団結も安定するので、大抵の社会はその仕組みを持つ。

制度上でも慣習上でもシス女性らはシス男性の攻撃と社会ぐるみの蔑視と差別から身を守りつつ身辺の老若男女を守るだけで精一杯であり、一般的に、トランスへ対処する余裕など期待すべきではない。

最近まで「女性への性欲や暴力や高度な能力はいずれも「男らしさ」で文明の原動力。女その他は「男らしい男」の作った文明の受益者なんだから感謝して尽くせ。性暴力に文句を言うやつは寄生虫。むしろ喜ばないのが異常。」とするニセ科学が盛んだったのだし、我らが日本が前世期前半に与していたファシズムとはそういうトンデモを政策へ落とし込んだものだった。

弱肉強食・適者生存・男性優位のニセ科学が主流だった19-20世紀前半、「共同体が女や弱者保護を切り捨てて「男らしい男」へリソースを集中すれば国は急速に発展するんじゃないか?」という政治思想が生じたことは想像しやすいだろう。

前田健太郎『女性のいない民主主義』がいうように、元々近現代社会も(シス)男性しか守らないようにできている。

近現代民主主義社会も「シス女性が対等な発言権をもたないほうが良い」という前提で仕組みが作られている。社会はシス男性を守るが、シス女性を守らない。また、同書はあまり踏み込んでいないが、現代以前、近代までの政治哲学では男尊女卑が正義であり根本原理だった。「庶民に楽をさせてはならない。女に楽をさせてはならない。」と。

そんな「女性」というジェンダーにわざわざ加わるのだからトランス女性は大変だろうし、逆に、社会的に奴隷同然の境遇にあるシス女性と認知されるうまれでありながらトランス男性になる人も大変だろう。いずれにせよ最大の脅威は「男らしさ」を信じるシス男性であるし、問題解決のカギを握るのもシス男性である。

そして繰り返すが、伝統的に人権を奪われてシス男性のストレス発散道具とされ、他人のケアを担う被差別集団であるシス女性にトランス問題への対処を依存するなんぞ、非人道的かつ不可視化が進むので絶対に避けるべきだろう。


シス女性は伝統的な被差別集団の典型つまり「お上公認・いじめていい奴ら」

生物学的にはヒトの性別はほぼナンセンスであり、なぜそうなのか、は1990年代半ば以降の世界では中高理科なみの常識だ。既出なので割愛する。

それ以前は近現代でもアリストテレス『政治学』的な、男性自由市民間の対等な話し合いを重んじる思想は(王や皇帝のお気持ちに依存する専制と比べれば先進的なので)様々な政策の根底にある。

我々の生きる社会もシス男性優遇と、奴隷的なシス女性その他の境遇の上にある。

 注 古代哲学は洋の東西で案外大差ない。なにせアリストテレスの弟子のアレクサンドロス大王がマケドニア・ギリシャからインドの北までを支配したほどなので、国境のゆるい時代は文化の往来が盛んだった。

これに古代ローマや東洋人のような輪廻転生思想が加わるとどんな極悪非道も前世の報いで説明したがるので更に悪化する。

そんなこんなでシス女性は、伝統的に人権を奪われて社会インフラ的な役割を担う、伝統的な被差別集団の典型だ。無償労働力かつ低賃金労働力かつ、あるいは団結心を強めるための蔑視対象としてだ。

哲学は東洋も西洋も古代では医学などと一体だったし(つーか今もそうだな)、人間の本質を知ろうとする以上、社会的動物である人間を扱う政治哲学とはさらに一体だった。

古今東西、人類がそういう基本方針で社会を作ってきたという事実は極右的保守でも左でも大差ない教養だろう。

アンチフェミがどう語ろうが変わらない。

どの社会もシス女性に守られているが、社会はシス女性を守らない。

洋の東西、シス女性は身分制的な支配の維持のため各階層に設置された被差別集団であり、社会はシス男性の娯楽やガス抜きや結束用に、シス女性への虐待を制度化してきた。

日本の遊郭などもその典型だし、主に男性の主観だけで決まる現代の性犯罪などもその産物である。

伝統的な日本社会ではお上を批判する自由も恋愛の自由も原則なくて死に追いやられるが、シス男性がシス女性や目下を虐待・搾取して気晴らしする自由だけは確保された社会であり、日本ほど挙国的に女性搾取的ではなくとも、他国もそう大差ない。女性は口減らし要員だったわけだし。

特に数千年前から20世紀まで続いた身分社会においては男尊女卑を含む身分の維持こそが正義であり「お上を批判するくらいなら家でカアちゃんカミさんや娘をなぐり、そのへんの男女を強姦して発散する」のが正しい男の有りようだった。

なので、社会は

シス女性がシス男性から逃げにくいように

あるいは逃げても保護されにくいように

あるいは逃げてもいずれ別のシス男性の所有するサンドバッグ兼、無償低賃金労働者になるしかないように

丁寧に制度と文化慣習を作ってきた。

今相当数のトランスライツ活動家(TRA)は結局、そうやって人の世話を担う伝統的な被差別集団である「シス女性」に「引き続きシス男性からの構造的暴力をしのぎつつ新たに認識された被差別集団の世話もしろ」と要求している。

さっきも書いたとおり、古今東西、社会は「世間的に男性として認識される人々(よってトランス女性も含む)」間の身分や治安の維持の手段として、あるいは単にストレス発散や自信回復手段として、シス女性への虐待を制度化し、使い、かつ、許してきた。

遊郭であれ、女性叩きや女性虐待を娯楽とする文化であれ、いまだに性犯罪やDVなどが男性のお気持ちメインで決まる理由であれ、現状の偏りは、長く続いた男性保護と女性酷使の結果である。

以前書いたように今の科学的常識では性別自体がほぼナンセンスであり、性的指向や性欲に男女差など有り得ない。

言い換えれば《世間的な女性》の人権を奪って男性の問題を丸投げし、男性同士で女性や「女らしさ」を蔑視して「男らしさ」を確認し、男性同士のストレスも女性で発散しつつ

「オレ様は男だから有能。」「お上は男らしいから正しい。」「女は女だから無能だし、異民族や下は女っぽいから無能。オレ様の慈悲と支配が奴らを守っている。奴らのせいで社会が悪い。」

という自己中心的で歪みきった世界観を冷静かつ論理的に保持し続けることが従来、普通の男性に期待される態度だったと言える。


トランス当事者やアライを含む非フェミニストも、以前述べた3つの迷信に依存しがち

非フェミニズムは古典的な教養の基本だったし、前近代的な支配と差別と搾取を正当化しようという屁理屈なので、ニセ科学や歴史修正主義と仲がいい。

以下に再掲する非フェミニストの迷信3種のうち、特に1番目を否定されると非フェミニストは集団ヒステリーを起こすものだ。

問題は従来主流だったシス男性中心の天動説並みの世界観や歴史修正主義やニセ科学にあるのだが、今般シス女性相手に騒いでいるTRAも例外なくそうだ(シス女性もいる)

そういうTRAは伝統的にシス男性にありがちな深刻な認知の歪みを抱えている

彼らの迷信をここでは3つに大別している。

迷信1.「社会は女を守っている。」「男は女を守っている。」「男尊女卑は女を守っている。」

注:身分制にありがちな錯覚。現実は逆。


迷信2.
「性別は実在し、男女は知性や精神も生物学的に異なる。「遺伝情報」「進化」「ホルモン」「脳」など。ジェンダーギャップは自然。」

※注:いずれも初歩的なニセ科学。まず古代の迷信や男性の願望による解釈やら「育て方の違い」の検証で消える小学理科並みのニセ科学であるため1960年代までに否定済み。

最終的に、1990年代にヒトゲノム解読やホルモンの作用機序解明や性分化の解明で「性別」も「男性の有利」も完全に否定済み。

生き物は女性なので心身の発達も女性ホルモン等による「女性らしさ」であり、性別が外的区分に過ぎないから男性に《も》有能な人がいるに過ぎない。

そういう初歩的なニセ科学が1世代前まで通用してきた理由も、そして日本からであれアラバマであれアフガンからであれ今でも発信されるたびよく見かけて世界中から嘲笑されているのも、男社会にありがちな女に守られきった迷信的な無能男の巣窟と化したエリート男性の集団ヒステリーだからだ。

日本は科学が数十年遅れで、開国以来の国策で男性優遇と女性酷使に依存しているし、なので今もニセ科学が主流である。

2'「能力や女性への性欲や暴力は「男らしさ」であり、「男らしさ」は文明の推進力なので矯正すべきでなく女性は犠牲になるべきである。男性は高度な労働向き。」

注 古代から1990年代前半まで主流であり政治経済の基礎だったが、同後半以降今までにゲノム解読や性ホルモンの作用解明で古代の迷信と確定済。

迷信3.
「男尊女卑などは昔か、異文化か
,別の文化の話。今は我が国の女どもはトクしていてズルイ。男女平等を望むなら女が努力すべき。」