詩『ライン河畔のビンゲン』とアフリカ有色人種による西欧白人奴隷売買の終焉
これを書いた動機
・世界人権デーだから
・真珠湾攻撃の記念日に、民族至上主義や人種差別的な主張を唱える「普通の日本人」をみたこと(「有色人種は白人支配の被害者で日本は救世主、キリスト教が悪の根源」的な)
・身内へのプレゼントに『赤毛のアン(注釈が多いバージョン)』を買ったついでに自分で読んだこと
・赤毛のアンにおいて重要な役割をもつ詩『ライン河畔のビンゲン』について感想を探していた際、「当時のアルジェでライン河畔の少年がなぜ戦死?」という疑問を見かけたこと
文春文庫『赤毛のアン』L・M・モンゴメリ 松本侑子 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167913243
奴隷制の歴史のざっくりした流れ
地域性
西洋
ギリシャローマ的な古代市民男性のみを高等な人間と見る疑似科学により「奴隷や女性は単純肉体労働向き」とされ、頭と手足の役割が異なるようにお互いに役割があり尊いから奴隷制や男尊女卑も良しとされた。
後世のキリスト教圏やイスラム圏の奴隷制度肯定の理路は、アンチフェミニズムの理路と同様に、この思考が立脚点。
東洋
我らが日本を含め、たとえば仏教はカーストを否定したはずだが、結局は輪廻転生思想なので「奴隷や女性に生まれるのは前世の悪行の報い」となってしまい、その枠を超える議論が困難。奴隷制を許せない人が散発的に登場しても経験知が継承されにくい。
その他の地域では地域色が豊富である。どういうアニミズムか次第で天国にも地獄にもなる。
古代から中世までは人が30代や50代でザラに死ぬし、雇用の保証もなかったので、奴隷も安定した身分の一種と思われていたフシがある。
大航海時代と反人種差別・反奴隷制の世論の高まり
1500年代 大航海時代が始まった直後から、米大陸先住民の惨状が広く問題視された。それだけなら美談だが、前述の「奴隷向きの人々が実在する」という古代哲学的な発想により、アフリカから新大陸へ奴隷を導入。
1600年代後半
アフラ・ベーン『オルノーコ』(以前このブログに書いた)が英国植民地での黒人奴隷虐待を描きベストセラーに。主人公はアフリカの王族出身の奴隷で、白人奴隷※を家庭教師にもつインテリ。
※この頃は白人の奴隷も多々いた。
人種差別反対・奴隷制度・奴隷貿易廃止の世論が高まる。
西洋文化圏内の西洋人奴隷はほぼこの頃を境に解消。
1700年代後半
フランス革命の少し前、人種差別を否定し平等を目指す法・政治理論が一通り出揃い、「欧米」でメジャーに。
※人種差別よりも身分差別の維持が重視されていた面がある
※とはいえ、のちにナポレオンが黒人系の政敵*を封じ込めるため人種差別・隔離政策を施行し今の惨状に至る
*文豪デュマの父など
一般市民のあいだに人種差別否定、奴隷貿易廃止の世論がさらに高まる。
→名作『嵐が丘』で幼いヒースクリフが嵐が丘屋敷の大旦那に保護され、実子同様に育てられた社会背景。
市民の反感により奴隷商人のなりてが激減。奴隷船の運行に支障が生じる。
同様に『嵐が丘』で復讐を企てたヒースクリフが数年で富豪になれた社会背景もこれ。
1800年前後、白人による有色人種奴隷貿易廃止
「欧米人」はアジア・アフリカ人を奴隷にしなくなる。
※宗教意識の低いオランダ(むろん日本のお仲間)や、トルコ(イスラムの教義が奴隷制肯定に使われた)などは継続。
※合衆国南部などでは既存の奴隷でやりくりするため、家族を別々に売り飛ばすなどの非人道性が際立つことになる。
1830-40頃、北アフリカ拠点での白人奴隷解放
それまでアジア・アフリカ人は西欧や中欧の白人を奴隷にして奴隷貿易を行っていたが、反乱や散発的な軍事衝突や外交問題化を経て彼らを狙わなくなった。
ただし、東欧からロシア手前あたりにかけての白人は引き続き有色人種たちの奴隷扱い。彼らはオスマン帝国各地に配置され、上記の白人奴隷解放のながれもあって西欧列強からの救援を期待したが、英仏などはオスマン帝国の広域支配が都合良かったので黙殺。
1870年前後
北米での奴隷制がついに廃止
言い換えれば「黒人奴隷貿易廃止」から「北アフリカでの白人奴隷解放」と「北アメリカでの黒人奴隷解放」までは数十年のあいだの出来事。
以降
たとえば日本人による日本人女性奴隷輸出は、自国の女性を収奪して得る軽工業と同じく日本の重要な外貨取得手段であり、20世紀まで続いていた。東南アジア各地に日本人女性の墓がある。
21世紀の今も有色人種による有色人種の奴隷化は継続
している。
今でも奴隷制度を正当な制度とみなす文化はあちこちにある。
現代の日本政府も奴隷制度について表面は否定的だが、実効的な対策には乗り気ではない。
人の奴隷化に反対する社会の場合、誰だっていつ奴隷になるか分かったものじゃないので子供時代から教育する必要があるはずだし、
社会側も、いつでも人々が奴隷状態から逃げ出せるようにホームレスや無戸籍者的な人々への支援の仕組みづくりが重要だが、日本の場合は封建性なのか、国ぐるみで人を逃げにくくしているままだ。
赤毛のアンと19世紀の民族意識
赤毛のアンの最初のほう、手違いで老兄妹のもとへ来た11才の孤児である主人公アンは、施設に送り返される馬車の上で、自分が暗唱できる好きな詩を数本マリラに紹介する。
どれも教科書に載っていた詩で、多くは近代の歴史的事件を主題とし、11歳の好む詩らしく血なまぐさく、戦いと死と敗北と絶望に満ちている。
教科書な詩としての共通点は、
不屈の民族自決の精神や個人の自由な精神を称揚し、子どもらに培おう
というところだろう。
1.ホーエンリンデンの戦い
ナポレオンを迎え撃ったバイエルンを描く叙事詩。世界史的にはナポレオンによる撃破だが地元民からみれば雪辱を期すべき大敗北。
2.フロッデン後のエジンバラ
連合王国が今よりもずっと渋々連合していた昔、スコットランド王がイングランドを襲い、敗退した事件を描いた詩。血まみれの帰還を果たした指揮官が、駆け寄る市民たちに敗北と子供らの死を告げる。
3.ライン河畔のビンゲン
はるかアルジェで戦死した少年が、見知らぬ戦友に託した言づてをうたう叙事詩。当時のアルジェリアには彼のような子供が多々いた。その時代背景や、数十年後のアンの時代にもう無い理由は後述。
4.湖上の麗人
美女をめぐって決闘を繰り広げる騎士たちの話。しかし囚われの姫にも自我と自由と意思があった。当たり前だが。
5. 四季
四季を描いた4つの詩。
5.ポーランドの陥落
ポーランド救国の英雄とその敗北を描いた叙事詩。前掲書巻末注釈より「各国に領土侵入されていたポーランドで最初に独立をめざした英雄コチューシコの戦いを描いたもの。しかしロシアの侵入で独立は失われる。」
外国の歴史的事件を描く詩が半数を占めるが、スコットランド人にとっての民族文学だったらしく筆者も異論はない。前記事にも述べた、19世紀の気風、個人の自由と民族自決主義の高揚をつたえる内容だ。
『ライン河畔のビンゲン』の内容、および当時広く愛唱されていたこと
この2点は作中でのちに重要な役割を果たす。
内容は前述の通り、アルジェで死につつある少年が、戦友に言伝てを頼む話だ。
基本的に家族への伝言だけれど、最後に
「もう一人、妹ではなく、」
と地元ビンゲンのとある少女への思いを託し、読者の涙を誘う。
一緒によく散歩にでていたそうなので、あと一歩だったのだろう。
19世紀前半の、今で言うドイツの少年が、そんな戦役などなかったはずのアルジェリアでなぜ死にかけているか
といえば、当時の人々には知られた社会問題として、
アルジェは有色人種による白人奴隷貿易の拠点として悪名高かった
そして、そこへ若い欧州人が集積され、アジアアフリカへ売られていくものだったからだ。彼も奴隷だったのだろう。
日本の近現代もそうだが、人は、ひょんなことで奴隷になってしまうものだった。「ミラノの工房で修行できると聞いたのに」とかね。
「ライン河畔の」はイギリスの詩人による詩であり、欧州各国は率先して奴隷貿易を廃止し、道義的に上に立った状態からアジアアフリカへ奴隷貿易廃止を迫っていたとも言える。
そのため西洋各国から見ても、合衆国南部の奴隷制は邪魔だったのだ。
※アメリカ南部の奴隷制は西洋社会において非常に白い目で見られていた。19世紀の本では「言うまでもない悪」扱いで頻出する。たとえばヒルティの仕事論。
※トルコ人は洗練された高度な文化をもつ人々だが、古代には日本の向こう岸・山東半島あたりで羊を飼っていた遊牧民であり、日本語や朝鮮語とともに、世界でも特異な語族を構成している。
元々今のトルコ近辺が物凄くアウェイなせいか、欧州人にもアジア人にもアフリカ人にも、ある意味で平等だが同時に情け容赦がなかった。
特にオスマン帝国は『属国が反旗を翻す気配をみせたなら、同じような他の属国と同士討ちさせる』という、洗練を通り越して非情な統治手法で大帝国を保ったため、サウジ対エジプトや東欧南の民族対立のように、広大な地域に物凄いヒビが入ったまま今に至る。
※古代や中世からある宗教の教義はしばしば奴隷制が前提であり、奴隷制の正当化に使われることがある。イスラムの場合、元々中世初期におけるキリスト教の腐敗への宗教改革的な一面があるので、教会的な組織がないか希薄で各地の自治と自由を重んじるかわり、現代でも局地的に奴隷制度が通用しがちな面がある。
言うまでもないがアニミズムや多神教はまったく救いにならないどころか、内容次第で人権侵害を生みやすい。