私をめぐる旅(1)
いまなら自分を許せるか。
自分が惹かれるものというのは、往々にして共通点がある。でもその共通点に気がつくのは、ずいぶん後になってからだ。
『羊たちの沈黙』という映画がある。
1990年公開。FBIの研修生クラリス(ジョディ・フォスター)が、元精神科医の囚人ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)の助言を得て猟奇殺人犯を捕まえるというサイコスリラーである。今でこそプロファイルという単語も耳慣れたものになったが、この映画がそのはしりであると言っている人もいる。
最初にこの映画を観たのは10代後半だったと思う。残虐な手口や虫が出てくるシーンは脳裏に焼きついたが、それ以上に記憶に残ったのはクラリスとレクターが最後に対峙するシーンだった。クラリスの幼少期の出来事を話すなら、レクターが犯人の手がかりを話すという条件を飲むクラリス。互いの顔のクロースアップが続く。レクターは「今捕まっている少女を助ければ、かつて助けられなかった子羊の声で目が覚めることもなくなるのか」と問う。
つい最近まで、レクター演ずるアンソニー・ホプキンスの声とリズムが好きなのだと思っていた。役作りなのか、一本の金属が通っているかのように抑揚を極限にまで抑えた話し方をする。おまけに息継ぎをしない。一気に喋る。オードリー・ヘップバーン主演の『おしゃれ泥棒』のピーター・オトゥールにも、少し似たところがある。ちなみにレクターはほぼ瞬きしない。それは役作りらしい。クラリスとの最後の会話は、まるで朗読を聴いているようだ。その声は身体の表面を押すが、ほんの少しくぼみができるだけで決して爪のようにくい込んではこない。声の振動でわずかに皮膚を震わせるだけなのに、その振動は会話が終わった後もつづく。耳がそのリズムを憶えている。
こんなふうにレクターの声音に気をとられていたが、この20年近く何度も観返すほどの理由は他にあったと分かったのは、北欧のドラマTHE BRIDGEを観てからだった。
(2)につづく