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好きな映画① マンチェスター・バイ・ザ・シー

好きな映画と聞かれたら、相手も映画を好きな場合は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と答える事が多い。

あらすじはこんな感じ

ボストン郊外で暮らす無愛想で孤独なリー(ケイシー・アフレック)が兄の危篤を受けて、故郷であるマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻る。兄が死に、唯一の血縁の甥のジョー(ルーカス・ヘッジス)の後見人に指名されるが、頑なに故郷や他者との関わりを拒絶しするリー、それには深い訳が。

兄の死から始まるこの物語は、ボストンの北、マンチェスター=バイ=ザ=シーの湿った冬の空気と相まって、終始冷たく、重苦しい。
とにかく無口なリー。ヘラヘラ笑ってけば物事がスムーズに進むだろうに、頑なに表情を変えず、心を閉ざし、人と距離を置いている。

そこに数年前であろう、暖かい家族の光景がカットバックされる。何気ない日常を切り取ったシーン。その頃のリーは家族に囲まれ、優しく明るい。
私には子供もいないし、家庭を持ったこともないし、機能不全家族で育っているので、家族の暖かさとか無縁なんだけど、想像するに、アメリカの小さな街で、ちょっと面倒を抱えながらも、「家族思いの父」として、「気のいい兄ちゃん」として、当たり前に恋人を作り結婚し、子供をもうけ、地元で仲間と共に暮らす。そんな青年をケイシー・アフレックが見事に演じている。
(物語上の)現在との対比が鮮明でとても痛々しくもあり、美しい。

中盤で、なぜリーが心を閉ざしたかが描かれる。胸が張り裂けそうになる。泣いても詫びても悔いても意味なんてない、優しさや赦しも必要ない。神様の救いを求めない。癒してほしいわけでもない。

圧倒的に無力。

この物語に出てくる、主人公のリーや死んでしまったお兄さん、甥っ子のパトリック、リーの元妻や気にかけてくくれる旧友・ジョー、パトリックの友人や彼女、リーの子供。なんならエキストラ、誰ひとり嫌な奴がいないのに、人生って不条理で、カタルシスなんてない。

そりゃ、「家族の絆」「仲間」「信頼」「愛情」なんかが、わかりやすくカタルシスを与える映画も観るし、それで涙することもあるし、この映画を不特定多数には薦めない。

希望も、ドラマティックなカタルシスも、救いがなくても生きていく。

主人公リーの表情や細かな機微の変化や、語られない思いや記憶が、過剰な演出なく描かれていて、細部に虚しさを纏い、生きることに対して個人の思いなんて無力で無意味。

物語の終盤に、リーの閉ざしていた気持ちが垣間見えるシーンがあるんだけど、感情の機微がとても静かに、でも重く描かれる。過去が彼を変えてしまったけど、元来の「家族思いの父」「気の良い兄ちゃん」が垣間見える、彼の人となりが伝わってきて苦しい。

生気のないこの主人公リーから「生」をものすごく感じる。

私にとってはものすごく大切な作品。

ケイシー・アフレックという俳優、ベン・アフレックの弟、インターステラーの大人になったお兄ちゃん、正直、あまり印象のない俳優さん。でも、このリー・チャンドン、当初、マット・デイモンがキャスティングされていたと町山さんがラジオで話してたけど、ケイシー・アフレックの気の良い兄ちゃんっぽさがすごく自然体で、彼でなければ、陰と陽を体現できなかったと思う。

※あまりに大切な作品過ぎて文章が上手に書けていません。随時、加筆予定。

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