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1人で生きる 病気編

前回のノートで最近の心境を書いたけど、来月受ける子宮筋腫の手術のオリエンテーションに行ってきて、改めて1人を実感してやるせない気持ちになった。

4月に手術をしようと決めて、市民病院に紹介状を書いてもらって、MRI撮って、淡々と6月中旬に手術が決まった。毎度、内診があるかもと、ドキドキしながら、市民病院に通って、今日で4度目の診察。一度も内診のないまま、次に行くのは手術前日。身体を直接診たり触ったりしないのも驚きだけど、マスクをして顔を見せないまま、身体の中をいじられるって変な感じ。

手術の説明をしてくれた医師は、15分ほどの説明の中で、3度も「まぁ、子宮ごと取っちゃえば楽なんですけどね。」って言っていて、何だか39歳で子宮を温存したいと思うことが高望みなのかと辛くなった。そして、身寄りがいないので、手術日に付き添いが呼べないって話したら、それは何とかしてもらわないと・・・と言われるものの何とかなるなら、相談してないと話すと、お互い黙り込んでしまった。「まぁ、あとで看護師さんと相談して下さい」ってひとまず棚上げして話を進める先生。そして看護師さんにバトンタッチ。看護師さんもしきりに立ち会いできる人を求めてくる。人の交友関係を詳しく知りもしないのにやれ、兄弟は?友人は?同僚は?と、何だか手術の怖さや不安より、「家族ありき」でないと物事が進まないのかと、悲しくなった。病院としてはリスクをできるだけ減らしたい故にそうゆうシステムになっているんだろうけど、世の中にはいろんな事情で人に頼れず、いきてる人がいるんだよ。せめてそうゆう人のためのプランBを用意してくれていても良いんじゃないか。ひとまず、一人でオッケーになったけど。

今日のオリエンテーションは相当神経削られた。昼過ぎに家に帰ってきて、4時間ぐらい、寝るわけでもなくぼんやり時々涙目になって過ごしてた。この数年、人生の谷底だと胸を張って言えるくらいの厳しい経験を乗り越えてきたけれど、まだまだ下りきってない模様。不幸自慢をしたいわけではないけど、涙の数だけ優しくなれるなんて、んなわけねーだろ。

実は兄もいるし、兄嫁はマザーテレサかって言うくらい親切で気さくだし、手術すると言ったら、付き添ってくれると言ってくれた友達もいる。ただ、そんな時に素直に頼れたら、こじらせ・卑屈な39歳独身になってる訳が無い。どうしたって、自分のために時間や労力をかけてもらうのは忍びない。なんてたって、兄も兄嫁も友達も同じ状況のときにはもっと大切な人が付き添うわけで、ギブアンドテイクにはならない。テイクされっぱなしは居心地が悪すぎる。ただ、結局、兄に手術日に、病院から連絡が取れるようにしといてくださいって伝えたら、付き添ってくれることになった。本当に申し訳なさ過ぎてまた辛くなった。自分の人生で何かイレギュラーなことが起こるたびに、兄に世話にならなきゃいけないという現実に、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

これからも、できるだけ人様に迷惑をかけず、お手間を取らせた時には対価を払うので、世間の幸せが憎らしくなってしまう、卑屈さに磨きがかかった39歳を許してほしい。

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