人事やコーチやファシリテーターって不要なのか?
文脈によるのと、だいぶ俺自身がみてきた狭い世界の中でのナラティブであることは理解してるので、その上で駄文連ねるよ。
事業や関係性、ビジョンやカルチャーとかを編み、整えていく媒介的な役割を担うファシリテーター。自己/自組織に焦点をあてて、何かしらの変容や課題解決の伴走をするコーチ。人を活かして事を成すための、事業/組織のマネジメントを担う人事。
どれも媒介・促進・伴走的な役割を担うことがほとんどで、直接的な事業成果や売り上げをプレイヤーとして担うわけではない(まあ定義はいいのよ、ニュアンスゆるく捉えてね)。事業や組織のタイミングによっては、この橋渡しのような存在が不要になることもあるかもしれない。
実際、自分と身近な周りで「いまは必要ない」というタイミングに数多く出逢ってきた。今は第三者的な存在をタイミング的に必要としていない。顕在した困りがない。HR周りに十分な予算を割けない。自分も当事者として、「握手がはじまっては一旦終わりを迎える」という経験を数多くしてきた。
「もっと研修や組織開発したいんだけどなぁ」と思うけど、つながりのある範囲内でニーズがある先がなさそう。「困りがいまは解決したから必要ないなぁ」という感じで、コーチングの継続性もまちまち。今は事業に集中するタイミングで、HRや人事周りは必要なさそう。
こんな事情に直面していそうな友だちや知人を目の当たりにして、色々思うところはある。俺も浮浪マンだから明日は我が身で、正直心配は尽きない。人や組織や世界の豊かさに想いを持っているのに、自分も含めこういう人たちがジリ貧になっているのは胸が痛い。
何かにアンチテーゼを唱えたいわけでも、宣誓したいわけでもまったくないんやけど、こういう状況に直面する同志たち、そしてこれからこういう道に進もうとしている未来ある若者たち(いやいや俺も若者なんやで?)はどう生きていくんだろうか。
・想う
・見立てる
・編む
ここまで読んでくれたみんなは、きっと同志だよな🫰。だからみんなと一緒に考え続けていたい。こういうことやりたい人はいっぱいいるし、ちゃんと必要性は高まる。でもずっとすきな場所に関わり続けられる確約はない、不安定が前提のなかで何が大切なんだろうか。この3つのあり方かなぁって、なんかおもって。(スキルセットは知らん)
まず想いがあること。自分はどんな人間でありたいか、その組織や事業に自分が携わりたい動機はなにか、どんな未来を共につくっていきたいか。想いでつながることが、何よりも関係性の土台になるとおもうから、絶対に耕していきたいよな。
見立てがあることは、その人が携わる理由になると思う。見立てがなきゃ別に他の人でもいいわけだし、自分なりの見立てを通じて同じ景色を分かち合えるとおもうから存在価値と言ってもいい気がする。
見失っているものを取り戻すこと。絡まっているものを解きほぐすこと。出口のみえない迷路に光と希望を見出すこと。編む役割は、当事者視点・客観視点を共に兼ね備えているからこそ担えることだとおもふ。
きっとこういうことをやっていきたい人は、ロマンマシマシで、算盤が苦手できつい傾向にあると思う。美しい内的世界と、外的な社会構造やキャピタリズムとの狭間でもがいていく人生になると思う。どっちかに振り切ってもいいし、俺は「うまくつきあっていく」立ち位置をとりたいとおもってるけど、どうあるのがいいんだろうなぁ。おれもわかんねえよ。
けどこういう生き方をしている/していきたい、もがきながらも見出していきたい、って想ってるみんなはまじ仲間!同士!ともだち!!って心の底からおもってるし、こういうことや対人支援や先生をやっていきたいと願っている若者の未来をちゃんとつくっていきたい。
大変だし疲れることばっかやけど、自分の想いや魂信じて、みんなで育み合って対話して、ときにちゃんと休みながらゆるりやってこうな~ またなんか想うこと、湧くことあったら聴かせて。おしまい。