日本の生産性はなぜ上がらないのか?
民間企業であれ役所であれ、本来であれば組織で仕事をする以上、その仕事の所定の目的を効率よくできるだけ低い費用で達成することが重要なのですが、日本では結果を出すことだけにこだわる傾向が強いように思います。つまり生産性や費用は二の次になる傾向が強いということです。
モノづくりの現場には生産技術という仕事があって、効率と費用の改善・改革・革新を仕事と捉えているわけですが、事務作業や営業、購買などの分野ではそのような捉え方がされることはあまりありません。
本来管理職というのはそのようなことを考えるのが仕事なのですが、日本では管理職は現場からたたき上げていくので、そのような視点が育ちにくいのです。
これは学問や教育の分野でも同じです。生産工学のような学問分野はちゃんとあって、教育もされていますが、欧米でいうところの Business Administration(業務、あるいは事業の管理・運営)という名前を冠した学科は極めて稀ですし、管理職になるための資格として求められることは少ないのです。つまり、モノづくりの分野とは異なり、それ以外の分野ではほとんどの日本企業では素人が業務に携わっているのです。
そのような歴史があるため、今更業務管理を専門技術として認めてしまうと、自分が素人であることを認めることになるので、会社の上層部は誰もそれをしたがらないのです。ここにもたたき上げの弊害があります。
典型的な例を挙げると、「業務解析」があります。これは日本語にすらなっていません。英語では OR (Operations Research) と呼ばれていて、他の多くの組織論と同じように軍事目的で始められた研究ですが、組織として活動するために、どうすれば最も最適であるかを研究する学問であり、当然ながら欧米では軍隊以外の多くの企業や役所でも使われているものです。
ところが、日本で何らかの日系の組織に所属している人で、この手法を実践してはいないまでも、聞いたことがあるという人ですら1%に満たないと思います。
簡単に言ってしまうと、純粋に軍事的な観点から見て、日本が戦争に負けたのは精神論にこだわりすぎるあまり、科学的な手法を無視したからなのですが、そういう反省はなされないまま、戦後の経済復興も精神論に頼って突っ走り、たまたまうまくいってしまったために、「これで良いのだ」ということになってしまって、その付けがいまだに後を引いているわけです。
もっと端的に言えば、日本では偉い人たちが部下に精神論で頑張るように叱咤していればよかったため、そのようにされて育った今の偉い人たちも、自分たちも素人ですから、何も敢えて苦労を買って出ることはなく、あるいはいまさら恥をさらすことはなく、先輩たちに倣って精神論を繰り返して楽をしている、というわけです。
効率が良くなるわけがありません。
追記:時折この投稿を評価して頂ける方がいらっしゃいますので、ORにも学会があることをご紹介しておきます。そこでの学会の説明は分かりやすいし説得力もあるかと存じます。
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