適当すぎるとたまにトラウマができてしまう

訪問ありがとうございます。マリナです。

私は、真面目なタイプではありません。今でも、ダラダラとしてしまうことがありますし。そもそも、真面目だったら人生空振ることはないでしょう。適当に生きていますので。

真面目ではないので、真面目に生きている人を尊敬します。もちろん、そういう人達も「適度に息抜きをしているよ」というかもしれません。


真面目か・適当かは人それぞれ


「何が真面目」で「何が適当」なのかは、人によって違います。

しかし、いつも「この人、ちゃんと結果出していてすごいな。感心するな」と考えるのです。これを読んでいる人の中にも「真面目で尊敬する人」がいるのではないでしょうか。


私が毎日noteかWordPressに投稿しているのを「真面目だ」という人もいれば「そんな大したこともやってないじゃないか」という人もいるでしょう。

私も自分で「真面目じゃないな」と思うことがよくありますね。ネタを書き出しても、それを無視してブログを書いたりするので。なぜか。調べなきゃいけないものがあったとき、めんどくさいからです。

これが、個人ブログのデメリットですね。「あっ、これ調べないと書けないやつじゃん...」となったときに、「よしっ、しっかり調べよう」となるのか「めんどくさいから後でいいや(もしくはやらなくても)」と二手に分かれるかと。

そこで、真面目に調べることができたら、後々後悔も無くなるでしょう。後回しは本当に後悔します。


真面目に何かをやるかやらないかで一日の流れは変わってしまいますし、それが積み重なると1ヶ月、1年を無駄にしてしまいます。


子どものころの夏休みの宿題を真面目にやらなかったトラウマ


子どものころにあった、夏休み(冬休み)の宿題も真面目に取り組めるかで結果が違ってきます。私は、真面目にやらなかったので、トラウマになっていますね。


最初に、真面目に宿題を取り組んだ子は、最後までゆっくりと夏休みを過ごせる。最初に遊びを選んでしまった子は、最後に必死になって宿題を終わらせないといけない。

しかも、自由研究(工作)もあるので、宿題が終わらない子は大変ですね。(私も宿題やらなかった派なので、気持ちわかります。)

子どもの夏休みの宿題からも、真面目に早く取りかかることが大切なのがわかるのです。一見「早く取りかかったから、夏休みを満喫できたんじゃ」と思うでしょう。

しかし、本当にそうなのかなと。実際、私は夏休みの宿題に早く手をつける人間でした。しかし、早々に飽きてしまい、最終日になっても宿題が終わらないタイプでした。

それは、真面目じゃなかったからですね。「適当でいいや」という、その考えがかなり甘かったのです。いまだに「あのころの宿題を今からでもやりたい」と思いますので。


夏休みの宿題(普通の宿題)ができないのに、何か深刻な理由を持っている(持っていた)人もいるかと。


しかし、私の場合は「真面目じゃなかったから、夏休みの宿題を終わらすことができなかった。だから、今でも計画性がない人間になったのでは」と今でも考えてしまいます。これは、かなりトラウマですね。


どんなことでも最初は真面目になるのが大事


最初は、どんなことでも真面目に取り組むのが大事ですね。夏休みの宿題だけでなく。


真面目すぎてもストレスを溜めやすくなってしましまいます。しかし、私のように、かなり適当すぎると人生詰みます。どちらも、ほどほどにしといた方がいいでしょう。


個人的な考えですが「真面目にやるのならば、最初が肝心だな」と。夏休みの宿題、大学の単位取得、駆け出しフリーランス...成功しているほとんどは、最初に真面目に取り組んだ人ばかりです。

私の実体験ですが、早いうちにやると「ゆとり」が生まれるんですよね。本当に。「時間」ではないですよ。「心」のゆとりです。真面目にガッと仕事をして、一日の最後は心のゆとりを持つ。

そんな生活に憧れます。せっかく立てた、計画も台無しになってしまいますしね。


まとめ


私は、真面目ではないのでいろいろと苦労することがありました。先ほども述べましたが「夏休みの宿題を終わらせることができなかった」は、かなりトラウマですね。

今後とも、そうならないように身を引き締めていきたいものです。定期的に、この記事を読み返します。

読んでいただき、ありがとうございました。他の記事もお読みいただけると嬉しいです。

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マリナ・アッペル
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