『重力の虹』2
ひとつの注釈について考えてみたい。舞台はスノックソール、p67の脚注ナンバー12である。そこに「言及されているのは、ワーナー・ブラザーズのトップスターの一人であるモーガンが、極東戦線で日本軍戦闘機を相手に活躍するGod Is My Co-Pilot(1945)」とある。
実は、当該の映画は『空軍極秘作戦』のタイトルで2012年にブロードウェイからDVDが発売されている。『重力の虹』の翻訳出版が2014年なので、これはリサーチ不足といえるだろう。
しかし訳者のリサーチ不足をいちいちあげつらいたいわけではない。わたしが気になるのは、この映画の監督がロバート・フローリーだからなのだ。
ロバート・フローリー。この名前は蓮實重彦の『ハリウッド映画史講義: 翳りの歴史のために』にも記されている。そこではフローリーこそ『フランケンシュタイン』(1931)をユニバーサル社に映画化することを提案し脚本執筆もした真の立役者とされるのだが、主演にベラ・ルゴシ(ピンチョンお気に入りの俳優!)をゴリ押ししたあげく制作から降ろされてしまったとされている(はずなのだが、いま同書が手元にないので確認できない)。そして二人が代わりに作り上げた作品がポーの同名原作の初の映画化である『モルグ街の殺人』(1932)である。なお、フローリーはそれ以前にマルクス兄弟(これもピンチョンの贔屓の俳優!)の初長編映画である『ココナッツ』(1929)も監督している。
つまり、フローリーは極めてピンチョン的なB級映画の監督としてもともとは活動しており、『空軍極秘作戦』という一般的な水準の作品としか言えないプロパガンダ映画にわざわざ言及した背景には、デニス・モーガンというよりもフローリーへの思い入れが背景にあると思うのだ(ただ、念のためモーガンのウィキを確認したところ出身地がvillage of Prentice in Price County, in northern Wisconsinとなっているのにはちょっとびっくりした。というのも、この脚注はもともとパイレート・プレンティスPirate Prenticeについての記述につけられているものだからだ。もちろん、ただの偶然ではあろうが)。
さらに『モルグ街の殺人』でオランウータンが女性を担いで屋根を登っていくシーンは、『重力の虹』における最重要映画のひとつである『キング・コング』(1933)を先取りしている、とも言える!興味が尽きない。
ここでついでに隣の脚注ナンバー11にも触れておこう。「絞った音量で流れるBBCのフォークマンとアパッチ楽団の演奏」について脚注は「原文テクストでFalkmanとなっているバンドリーダーは、『GRC』によれば、おそらくLionel Folkmanのこと」とあるが、これは『GRC』が間違っている。どのウェブサイトにも、Lionel Falkmanと表記されているからだ(『GRC』はたしかに偉業だが、現在の環境で『重力の虹』を読もうと思ったら一人の研究者のリサーチに頼るよりもひたすらググってネットの集合知を参考にしたほうが得るものが多いとわたしは思う)。
いやしかし、とにかくこの辺は異様に誤訳や誤解が多いのである。わたしはそれを戦争に由来する差別的表現に、訳者のこころが動揺したからと、とりあえず考えている。
ピンチョンの基本的なライティングの姿勢に、可能なかぎり当時使われていた剥き出しの語彙を使って書く、ということがある。もちろんネットのない時代だから限界はあるし、「サイバネティクス」のようなキーワードは戦後に新しく作られた造語に関わらず意識的に作中に取り込んでいる。そもそも物語の現在時は1944年12月であり、『空軍極秘作戦』の初公開は1945年2月で、ここにもアナクロニズムが露呈している。
さて、ではピンチョンはどんな差別的な表現を書いているのか。
「パイレート・プレンティスも同じ気持ちにならないわけではないが、彼の場合、どうしても階級的屈折があいだに入る。上流の人間たちと一緒のとき、彼はいつも強烈なニタリ顔を携える。古代ギリシャの重歩兵の行進みたいな笑い顔。これを彼は映画館で入手した──出典は、デニス・モーガンが、小さな出っ歯のイエロー・ラットを撃ちおとすたびに、噴きだす黒煙を見おろしながらニタリと浮かべる、あの悪戯っぽいアイルランド人の笑いなのだ」Pirate Prentice feels something of this, obliquely, by way of class nervousness really: he bears his grin among these people here like a phalanx. He learned it at the films─it is the exact mischievous Irish grin your Dennis Morgan chap goes about cocking down at the black smoke vomiting from each and every little bucktooth yellow rat he shoots down.
うん。たしかに嫌な感じはする。でもピンチョンは作中に登場する主要な人種について、例外なく嫌なことを書く。それも上記のように、日本人を「出っ歯」と形容するようなある種のクリシェを飽くことなく書く。これはピンチョンなりの歴史記述の方法なのだ。ピンチョンは現在時から怒りを持って過去を振り返るのではなく(たまにそういう書き方もするけど)、歴史のある時点に入り込んでその中で書く。第二次世界大戦中ほど差別的なカリカチュアが流通した時代もそうないだろう。ピンチョンは言葉狩りをして正しい表現を志向するポリコレとはまったく違うところに行こうとする。むしろ或る時代に使われていた差別的な表現を介して差別感情の根源へと遡ろうとするのだ。
あと、he bears his grin among these people hereを「上流の人間たちと一緒のとき」と訳すのは誤り。スノックソールに上流社会の人間なんかいない。むしろパイレートはスノックソールに集まる人々を自分より階級的に下に見ている。「この手の連中といるときはずっとヘラヘラした顔をしている」といった感じか。そもそもパイレートは上流社会の人間に気に入ってもらいたいのだから、紳士に向かって「悪戯っぽいアイルランド人の笑い」を向けるわけがないのである。
ところで、『重力の虹』刊行記念のトークショーに十年前に行った際、この第四エピソードで読書が止まってしまう人が多いという話を訳者がしていたという記憶がある。しかし改めて読んでみると意外と構造のしっかりしたエピソードだな、という感じがした。
スノックソールという場所で降霊会が進行中。初登場するのはジェシカ・スワンレイク(スゴい名前だ)。その愛人のロジャー・メキシコを探しにやってきた。「ケンブリッジ大学の優等卒業試験(トライポス)で完璧な成績をあげたミルトン・グローミング」Milton Gloaming, who achieved perfect tripos at Cambridge ten years agoといった脇役も多々出没するので頭が混乱するが、ひとまず重要なのはジェシカとロジャーだ(なお、ミルトン・グローミングが「完璧な成績」を修めたのはすでに十年前ten years agoだという情報はなぜか訳し忘れられている。この記述をもとにグローミングが現在三十代前半くらいだろうという想像が可能になるのだが)。ロジャーもグローミングと同世代だろう。グローミングによれば、そのロジャーは軍人のパイレート・プレンティスと一緒にいるようだ。パイレートは現在41歳。1936年に一時的に軍を除隊した際、スコーピア・モスムーンという重役夫人と愛人関係になった。パイレートはかつての自分の状況をロジャーと重ねている。そう、ジェシカにはすでに婚約者がいるのだった……。まあ、たぶんこんな感じだろうか。わけわからん、というほどではないと思うのだが、やっぱり初読時は負荷が掛かりすぎた記憶もある……。
さて、先程検討したパラグラフの直後から始まる箇所の訳も違和感がある。
これがとても役に立つ。彼らにとってのプレンティスと同じくらい有用である。〈ファーム〉といえば、誰でも何でも、裏切り者も人殺しも性倒錯者も黒人も、女でさえもおのれの目的に利用することで知られる。〈かれら〉は当初、パイレートの有用性を充分には確信していなかったかもしれない。だが、事態の展開に合わせて、確信はゆるがぬものになっていった。
「少将、まずいでしょう。こんな方面のことに手を染めては」
「彼のことは四六時中見張っている。われわれの軍域を物理的に離れる気配はないのは確かだ」
「でも、彼には共謀者がいるわけで。催眠術とか、ドラッグとか、方法はともかく、その男に近づいて眠らせてしまえばどうなるか。まったく、次には占星術に頼るとか言いだしそうだ」
「ヒトラーはやってるさ」
「ヒトラーには霊感があるんです。しかし少将、わたしらは公務についているわけなんですよ…」
最初に需要の波がきたあと、パイレートが指名されるクライアントの数はいくぶん減って、いま抱えている件数は楽な部類に入る。
“Major-General, you can’t actually give your support to this.”
“We’re watching him around the clock. He certainly isn’t leaving the premises physically.”
“Then he has a confederate. Somehow—hypnosis, drugs, I don’t know—they’re getting to his man and tranquilizing him. For God's sake, next you'll be consulting horoscopes."
“Hitler does.”
“Hitler is an inspired man. But you and I are employees, remember. . . .”
わたしの考えでは、ここでの会話は「パイレートの有用性」を〈ファーム〉の人間が検証しようとしていた時のものだ。パイレートは超自然的な特殊能力を持っていて、他人の妄想(というより強迫観念か)を代わりに妄想することができる。パイレートが妄想(強迫観念)を肩代わりすることによって、その他人(おおむねお偉いさん)は戦争にまつわる業務に集中できるという次第。
We’re watching him around the clock. He certainly isn’t leaving the premises physically.のthe premisesを軍域と訳すと曖昧になる。パイレートの〈妄想代理人〉としてのキャリアPirate’s career as a fantasist-surrogateの始まりに、その能力が本当に作動しているのかを確かめる実験があった。パイレートは敷地内the premisesにしばらく蟄居させられたのであろう。
Then he has a confederate. Somehow—hypnosis, drugs, I don’t know—they’re getting to his man and tranquilizing him.でも、彼には共謀者がいるわけで。催眠術とか、ドラッグとか、方法はともかく、その男に近づいて眠らせてしまえばどうなるか。
Thenはでも、なのだろうか。ここはパイレートに期待と信頼を寄せはじめている少将に対して、部下が不信を示す箇所だろう。Then he has a confederate. Somehow—hypnosis, drugs, I don’t know—they’re getting to his man and tranquilizing him=それなら共謀者がいるんですよ。なんらかの仕方で─催眠術なのかドラッグか、僕にはわかりませんけど─共謀者たちが、パイレートのターゲットにしている男(his man)と接触して精神を安定させてやっているんですよ、といった感じだろうか。あと、Hitler is an inspired man. But you and I are employees, remember. . .を「ヒトラーには霊感があるんです。しかし少将、わたしらは公務についているわけなんですよ」とするのはどうか。ヒトラーだって公務についているのである。ここは「ヒトラーは天啓にウたれた指導者なんです。でもあなたとわたしは雇われの身ですよ…」みたいなニュアンスなのではないだろうか。
次は翻訳p72。
「一九三六年のこと──「T・S・エリオットの春」と彼は呼んだが、実はもっと寒い季節に──パイレートは、とある重役夫人と恋仲になった」In 1936, Pirate (“a T. S. Eliot April” she called it, though it was a colder time of year)
これは一目見てわかるように、彼と彼女が入れ替わっている。そもそも、軍人パイレートが「T・S・エリオットの春」などという気取った言い回しをするだろうか(いくら上流社会に憧れているとはいっても)。そして上流社会に属する「重役夫人」は、エリオットの詩に対しても実際の季節に対してもテキトーなのだった(などと書き写していながら、T・Sって本書の主人公格タイロン・スロースロップTyrone Slothropのイニシャルでもあるよな、などと思ったりした。第一部ではスロースロップはほとんど活躍しないのだが、たとえば最初のエピソードに出てくるコリドン・スロスプCorydon Throspのように、すでに『重力の虹』を読み終えた読者にはまるでスロースロップがばらまかれたかのように錯覚させる語彙が周到に配置されている、のかもしれない……)。
さて、二人の逢い引きの場面である。「見知らぬ同士を装ってふたりはパーティに出かけた。広間の向こうに予期せぬ彼の姿を見つける危険を避けるべく、手を打ったことは一度もない(そうやって、雇用人の身である彼に同族意識を持たせてくれたのだ)。パーティのマナーも愛についても金のことも、何も知らない彼のことが彼女にはいじらしく、三十三歳の帝国軍人が時折見せる少年らしい振るまいが愛おしくてたまらないという様子だった。歳相応の禁欲に入る前の、これは彼の最後の恋の炎だろうと彼女は思った──もっとも彼女自身若すぎて、「ダンシング・イン・ザ・ダーク」の歌詞が実際(傍点あり)どういう意味なのかもわかってはいなかった…」They would attend parties as strangers, though she never learned to arm herself against unexpected sight of him across a room (trying to belong, as if he were not someone’s employee). She found him touching in his ignorance of everything—partying, love, money—felt worldly and desperately caring for this moment of boyhood among his ways imperialized and set (he was 33),his pre-Austerity, in which Scorpia figured as his Last Fling—though herself too young to know that, to know, like Pirate, what the lyrics to “Dancing in the Dark” are really about. . .
ここはたしかに(わたしには)難しい。しかしthough she never learned to arm herself against unexpected sight of him across a roomのarm herselfは本当に「危険を避けるべく」なのだろうか。わたしなら、けれども広間の向こうに突然現れる彼の姿に彼女が慣れることはけっしてなかった、みたいな訳になると思う。つまり、上流階級が集まるパーティの客のなかで、パイレートは浮いていたのだ。 (trying to belong, as if he were not someone’s employee).は、(パイレートは)なんとかパーティにふさわしくあろうとした、まるで雇う側であって雇われる側ではないかのように、というような趣旨だと思う。続く文章felt worldly and desperately caring for this moment of boyhood among his ways imperialized and setを、翻訳では主語を彼女と解釈して「帝国軍人が時折見せる少年らしい振るまいが愛おしくてたまらない」と訳しているが、これをShe found him felt +She found him caringとして、彼が意味上の主語であるとしたらどうなるか。「彼は自分がどれほど俗世に愛着があるかを痛感させられ、だからこそ、骨の髄まで帝国主義に染まってもはや思うように身動きの取れない人生におけるこの少年時代のような瞬間を必死になって大切にした」──意味を重視して試訳してみると、こんな感じになった。どうなんだろう……。ところでhis pre-Austerity, in which Scorpia figured as his Last Flingを「歳相応の禁欲に入る前の、これは彼の最後の恋の炎だろうと彼女は思った」はやはり間違いだろう。彼女はそんなことわざわざ思わない。思うのはパイレートだけだ。彼女(スコーピア)が彼(パイレート)にas his Last Flingと思われている(figured)のだ。ところでFlingとは「恋」なのだろうか。「恋の炎」なのだろうか。むしろそのような誠実なものではなく「火遊び」といった不実なニュアンスではないのか。though herself too young to know that, to know, like Pirate, what the lyrics to “Dancing in the Dark” are really about. . .「最後の恋の炎だろうと彼女は思った」と訳したため、続くこの文章が訳文では混乱してしまっている。まるでスコーピアだけが「ダンシング・イン・ザ・ダーク」の歌詞がわからずパイレートは理解しているかのようになってしまっているが、まず最初のto know thatのthatは自分がパイレートにfigured as his Last Fling=最後の火遊びの相手と認識されていることがわからなかった、ということである。二つ目のto knowはlike Pirateとあるように、二人とも「ダンシング・イン・ザ・ダーク」の歌詞が本当はどういう意味かわからなかった、という意味になる。
ちなみに「ダンシング・イン・ザ・ダーク」の歌詞は以下の通り。わたしも本当の意味はわからない(大恐慌時代の隠喩という説はどこかで見かけたが……)。なお、作詞を担当したハワード・ディーツがまさに“Dancing in the Dark”というタイトルの自伝を1974年(つまり『重力の虹』出版の一年後)に刊行しているようだ。
Dancin' in the dark 'til the tune ends
We're dancin' in the dark and it soon ends
We're waltzin' in the wonder of why we're here
Time hurries by, we're here, and gone
Lookin' for the light of a new love
To brighten up the night, I have you love
And we can face the music together
Dancing in the dark
What though love is old
What though song is old
Through them we can be young
Hear this heart of mine
Make yous part of mine
Dear one, tell me that we're one
以下はYouTubeのリンク。動画紹介欄で初演時のくわしい様子が語られている(もともとはレビューのなかで流れる音楽だったそうだ)。
ところでこのエピソードの最後のパラグラフは最初のパラグラフと対応させて読まなければいけないんじゃないか。まず最初に語られたのは「部屋の気圧の微細な動きにも反応する」「多感の炎」だった。それとウォータールー駅における「スコーピアの真っ白な化粧顔」を対比させてみる。スコーピアはまわりを〈フレッド・ローパーのワンダー・ミゼッツ〉に囲まれながらも、おそらく微動だにせず立っている。その顔にはなんの感情も浮かんでいない。パイレートとの密会など、なんの痕跡も留めていない。その、彼には不可侵な立ち姿にパイレートは「心臓をズキンと打」たれたのではないか。彼の「火遊び」はなにひとつ彼女のこころに影響を残すことがなかった。それを知ってしまって、彼は近々「軍の暮らし」に戻ることになるのだろうと諦観するのではないか……。
ほかにも最初のパラグラフには「ここには白い手袋も、光る金管楽器の類もない」None of your white hands or luminous trumpets here.とある。脚注によれば「白い手袋を鱗粉で光らせて死者が顕現したように見せかけたり、誰も吹いていないトランペットが突然鳴り出したりするようなインチキはここにはないという意味」とある。
パテ社の公式サイトには以下の動画が上がっている。
https://youtu.be/KHuzWfat8dM?si=s9RHar3N2XC82R5e
ここではミゼッツのうちのひとりがサックスを演奏している。また別の記事によればミゼッツたちはヴォードヴィル・スタイルで観衆を楽しませたとある(この記事にはH・M・S Lilliput=英国海軍リリパット号という文言とともに水兵服を来たミゼットが象られた興味深いバッジの写真がアップされている。ミゼッツはパイレート=海賊からスコーピアを引き離す力の象徴なのか)。多感の炎の静けさとWater(=水)looの喧しさ……。
https://www.flickr.com/photos/23885771@N03/3547631583/in/photostream/
こうやって見てくると、ウォータールー駅のお祭り騒ぎの一団(A gala crowd)がluminous trumpetsをサービスで演奏していても何もおかしくはないであろう。ピンチョンは回収すべき伏線は回収せず、どうでもいいようなことにはオチをつけたがるタイプの作家である……。白い手袋に関しては、スコーピアが着けていてもミゼッツが着けていても何も問題はない。
そういうわけで、当たり前のことかもしれないが、ゆっくり読めばいろいろ発見があるな、と思った。わたしはこの小説だけは徹底的にゆっくり読みたい。
次はなにを書こうかな。