心が軽くなる!自分を愛するための3つの鏡の使い方①「他人鏡」
「自分の短所ばかり気になってしまう」
「周りの期待に応えようとしすぎて、本当の気持ちを押し殺してしまう」「もし本当の自分を見せたら、友達を失ってしまうかも…って怖くなる」
「子供の頃から、大人たちが言う“正しい自分”でいなければならないと思い込んでいる」
「自分が何を本当に望んでいるのか、いまいちわからない」
かつての私は、こんな風に不安を抱えながら「なりたい自分」に近づけず、苦しい毎日を送っていました。
そんなとき、仏教を学び始めて、私を映し出す鏡が3つあることを知りました。
それが「他人鏡」「自分鏡」「法鏡」の3つです。
それぞれの鏡は、自分を映す方法が異なるのですが、今回は「なりたい自分」への一歩を踏み出すための「他人鏡」についてお話ししたいと思います。
「他人鏡」とは、他人の目に映る「私」
「他人鏡」というのは、他人がどう評価するか、つまり他人から見た自分の姿です。
「あの人はこんな人だよね」「あの人ってこういう人だよね」というように、周りの評価で自分を見てしまうことです。
これを意識しすぎると、他人の目ばかりが気になって、心がいつも不安定になってしまいます。
例えば…
・上司や同僚に嫌われたくないから、自分の意見をはっきり言えない
・誰にでも笑顔で接してしまい、頼まれごとを断れずに無理してしまう
・家に帰ると、他人に気を遣っていた疲れがどっと押し寄せる
こんなふうに、「他人鏡」にとらわれていると、自分らしさが見えなくなり、心がどんどん疲れてしまいます。
誰かの評価がジェットコースターのように上がったり下がったりするたび、私たちの心も振り回されてしまうのです。
実は、以前の私も「他人鏡」にばかりとらわれて、自分が何者なのかよくわからなくなっていました。
人間関係に疲れ果てていましたが、「他人鏡」の特徴を知ってからは、少しずつ他人の目に依存しないようになり、かなり楽になりました。
仏教では、お釈迦様が「他人鏡」は「本当の自分」を映す鏡ではないと教えています。
それは、他人の評価はその人の都合次第でコロコロ変わるからです。
たとえば、フランスの英雄ナポレオンが、民衆から大きな喝采を浴びていたとき、側近が「閣下、あの民衆の称賛を見てください!」と言いました。
するとナポレオンは、「民衆の称賛ほど当てにならないものはない。戦争に負けた途端、彼らは私を断頭台に送れと言うのだから」と返したそうです。
人は、強い時や成功している時には「すごい人だ」と褒めますが、逆に状況が悪くなると手のひらを返して批判し始めます。これが「他人鏡」の本質です。
自分を良く評価してくれる人は「いい人」、逆に反対する人や冷たい態度を取る人は「悪い人」と、私たちは自分の都合で他人を評価しています。
そして、同じように他人も自分をその都合で見ているのです。
だから、自分の心の安定を他人の評価に任せてしまうと、常にあちこちに心が揺れ動き、「なりたい自分」にはなれません。
ただし、注意したいのは「他人鏡」が全くいらないわけではないということです。
人間関係を築くうえで、他人への配慮は必要ですし、「他人鏡」も大事な役割を持っています。
でも、他人の評価はその人の「都合」というフィルターを通して映し出されたものなので、全面的に信頼する必要はないんだよ、という教えなのです。
他の2つの鏡については、また別の機会にお話ししたいと思います。