自分を二の次にして、相手のために全力を尽くしてしまう人へ
人それぞれ性格は違いますが、その人の環境や努力次第で性格そのものはある程度変えることが可能です。
しかし、生まれ持った『性分』というものは変えられるものではありません。
性分とは
性分を辞書で調べると以下の意味が出てきます。
性分(しょうぶん) の意味
生まれつきの性質。天性。たち。「曲がったことのできない性分」「やりかたが性分に合わない」
この性分というものは性格とは違い、
「本当はこう出来たら良いのだろう。けれど、こうせずにはいられない。」
といった、本人にとってネガティブなイメージのものになります。なのでそれを自覚し、上手く付き合っていければ良いのですが、なかなか認められないでいると、同じことで何回も失敗を繰り返します。
かくいう私も「性分」を認めることができなかった一人です。私がなかなか認めることが出来なかった性分は、タイトルの通り
『自分を二の次にして、相手のために全力を尽くしてしまう』
というものです。
利点と問題点
この性分の利点と問題点についてですが、まず問題は2つあり、
1つ目は、「合理的に動けない」ことです。
自分を二の次にする性質上、自分の欲求を一度横に置いてから相手のために行動するので、自分にとっては合理性を欠く行為になります。
私はかつての同僚に「お人好し」と言われたことがあったのですが、その時は自覚がありながらも「そんなことはない!」と反論した記憶があります。
若いころは本当にこの性分が嫌で、認めることができず、挙句の果てには、全ての感覚に封をして「見ない・聞かない・感じない」ようにし、避けていました。
しかし性分を無視して逃げていてもその感覚は常に付きまとい、逃げることへの罪悪感にさらに苦しみました。
問題点2つ目は、「尽くす相手が悪ければ不幸になる」です。
世の中の多くの人は、もらったものは返そうとするバイアスがあります。(返報性の法則)
しかし中には奪ってくるだけの相手が存在します。
そういった相手に尽くしてしまうと、自分をすり減らし、疲弊することになります。
したがって人を見る目がない状態で、全力で尽くしてしまうと、地獄を見る羽目になります。
欠点ばかり上げてしまいましたが、利点もあります。
相手にもよりますが、尽くした人に感謝を伝えられたり、好意を持ってもらえたり、対人関係が円滑になることが多いです。
もちろん好意や感謝をもらうためにやっている訳ではない訳なので、特にお礼がなくても気にすることはありません。
まとめ
最後にまとめとして、この性分で一番大切なことがあります。
それは、我慢して尽くしてはいけないということです。
自分自身が幸せで、人にもそうなって欲しいという思いがあれば、自分を二の次にしてしまっても何も問題はありません。
自分を十分に満たしていて、さらに余力で相手のために尽くせるからです。
けれど不満がある場合、自分を二の次にしてしまうと、ただただ苦痛になってしまいます。
それならば折角の持って生まれたものなので、取り扱いに気をつけて、良い方向に活かしたい。
自分と同じ性質を持っている人に少しでも参考になれば…と思い、とてもニッチな需要だと理解しつつも今回書きました。
現場からは以上です。