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今日からnoteを始めてみる。

初めまして。楓林と申します。

正直、私は文章を書くのは全く得意ではありません。

……というか、ものすごく苦手です。

過去、友人宛に手紙を書いた時も「酷かった。」と言われたことも(汗)。

そんな私がなぜnoteを始めようと思ったのか?

それは

『記録をつけることは大事』

これをひしひしと感じているからです。

昔馴染みとの思い出話が…

20代の頃にいつも一緒に遊んでいた友人と、思い出話に花を咲かせていた時のことです。

話題が過去に観に行った映画の話になり、友人に

「見終わった後、あなたに『どうだった?』と聞いたら、こう感想を言っていたね。」

と言われました。

「え?そうだっけ?」

と答えながらも、数十年間すっかり忘れていた当時の記憶が、徐々に、でも鮮明に、その場面の映像と共にフワッと蘇ってきたのです。

その体験で感じたのが、過去にどんなに沢山の出来事に遭遇していても、そこから何も学ばず、思い出すこともできずに忘れていれば、もはや体験していなかったのと同じようなものだなあと。

良かったことも、悪かったことも、何気ない一言も、経験がなかった事になる。これはとてももったいないことだと感じました。

それを友人に伝えると

「そうなんだよ。だから私は何でも書くことにしているよ。」

と言われました。

その友人は手帳を何冊も使い分ける『手帳マスター』で、その日のちょっとした出来事から、自分の感じた事、後で調べようと思った言葉など、何でも手帳に書き込むのを習慣としているのだそうです。

早速私も真似をして記録をつけることに。

昔から人に感化されやすい性格なので良いと思ったものはすぐに真似してみるのですが、手帳を習慣化するのは中々難しく、試行錯誤の末、手帳とスマホアプリの二重使いに落ち着きました。

そして記録をつけ始めて一年

手帳やアプリを読み返してみると、忘れているけど、たしかにあったわ!と思う出来事が。

記録によって、忘れた後も再び追体験をする事ができるのです。

そして昔見た映画が、年を重ねた後に見ると違った視点から観れるように、
「この時はこう思っていたのだけど、今見ると幼かったな。」
と振り返ることができたり、
「この時はこんな事を考えていたのか。今はこう考えるなあ。」

と、後から違った見方が出来るようになるのです。

以前聞いた言葉に、『人生は事象ではなく、どう感じたか。』というものがあります。
同じ出来事でも、視点を変えることによって、プラスと捉えることもマイナスと捉えることもできます。
人それぞれの人生がありますが、人生って自分の主観の積み重ねなんだと、今の時点での私は思います。


SNSが発達した現在、自分のあらゆるものをコンテンツとして発信することが主流となりました。

私は文章を書くのが苦手な上にメンドクサガリーなので、

「私には無理……。」

と諦めていた所があるのですが、

note運営様の

「駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。」という言葉に触発されて書いてみました。

単純な人間なのです(笑)。

それではどうぞよろしくお願いします。


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