こだわりを持つことは悪いことではないけれど…
世の中、趣味を共有したいという人は多いもの。人の趣味を勧められることってありませんか?
人の趣味を知る事で自分とは違う価値観や、この人がなぜこれを好きなのかとか、流行りものにはそれなりの理由があるなとか。それを知ったり、考えたり、勧めてくれたことに感謝したり。
こだわりの強かった過去
私はもともとこだわりの強い性格で、自分の興味のあるものには全身全霊、心血を注ぐけれど、興味のないものには一切興味を示さず、視界にも入れないという人でした。
天邪鬼気質もあり、流行りのものもガン無視で、我が道を行き、自分のお気に入りに囲まれていることで安心を得ていたようにも思います。
しかしある年、私の中で全ての価値観がひっくり返る出来事がありました。
その日から全てのものが色褪せ、興味を持てなくなりました。
それまで好きだったものなのに、何の魅力も感じない。このこだわりに何の意味があったのだろう。そんな風に思うようになりました。
こだわりがなくなる。
それまでの自分の積み重ねてきたものは全て無意味で、もはや自分自身が空っぽになってしまったようでとても辛かったです。
気づかされた自分
そんな折、多趣味な友人に色々なものを勧められるようになりました。
それまでの私では興味を示さず、断っていたように思います。
藁をも掴む気持ちで、空っぽになってしまった自分を埋めるために、勧められるものを全て受け入れていきました。
そして友人の趣味を受け入れているうちに、
「ああ、自分は嫌いなものが本当に多かったのだな。」
ということに気付かされました。
それまでの私はこだわりのあまり、少しでも気に入らない所があると、その対象物を頭の中の『嫌いフォルダー』に仕分けていたのです。
今だったら、一つの物事だけで判断してしまう危うさを理解できるのですが、
それまでの私は自分の価値観にこだわりがあり過ぎたので、
他のものを否定することで、自分の肯定するものは特別だと思い込んでいたかったのです。
結局は興味関心が自分にしか向いていなかったのだと思います。
多種多様さを受け入れることが出来ていなかったのです。
結論
「こだわりを持つことは悪いことではないけれど、それも大概にしないと視野がものすごーく狭くなる。」
自分の未熟さが招いた経験からの教訓でした。
今では過去に自分が気に入らなかったものでも、一旦全て肯定的に受け入れます。
なぜ気に入らないのかを考える材料にもなるし、案外食わず嫌いで、実はその部分以外は好感の持てるものだったりするのです。
自分を『嫌い』でいっぱいにするより、『好き』でいっぱいにする方が、毎日が楽しいはずです。
これからも沢山の好きを増やすために、色々な物や事に触れていきたいなあと思います。
以上、読んでくださりありがとうございました。